ベルギーと私

ベルギーと私

御厨 邦雄
世界税関機構(WCO)事務総局長

ブリュッセルにある世界税関機構(World Customs Organization, WCO)に2002年初に赴任して13年近くが経つが、179か国の加盟国を出張で回っていることが多く、ブルッセルのこと、いわんやベルギーのことを知っているとは言えない。出張の合間にブリュッセルの事務局で仕事をしていても、50カ国前後の国籍の職員に囲まれているので、特にベルギー的な職場環境と言えるのか自信がない。当地のフレンチリセに通わせた子供たちが英国の大学に進学してからは、学校の親同士の付き合いも希薄になってしまった。

実際問題として、世界中の港湾や税関を巡るのに忙しくて、地元のアントワープ港を初めて訪問したのは今年になってからだ。もっともアントワープ当局は港湾整備が一段落するのを待って私を招待した節があり、そうした意味では気が長い国民なのかもしれない。街中で断続的に行われ、いつ終わるともしれない公共事業を見ると、その感を強くする。普段の運転では気短な人々が多いように見受けられるが、空いたスペースに駐車しようとする車を皆忍耐強く待っているのは気が長いのか、他人への思いやりなのか。

高校ではベルギーは1830年にカトリック教徒を中心とする住民が新教のオランダから分離独立したと習った。他方、日本人の精神構造を宗教で説明するのは容易ではない。そうした日本人の精神構造を外国人向けに説明した著作としては明治時代の教育者で、後に国際連盟の次長を務めた新渡戸稲造の「武士道」(1900年)がよく引用される。その序文には、執筆の動機となったのは、10年ほど前にベルギーの著名な法学者ド・ラベレイエ教授に「宗教教育無くしてどうやって学校で道徳を教えるのか」と問われたことへの回答を模索したことにあると書かれている。

宗教及び道徳に関心の深いベルギー人学者のおかげで名著が生まれたのかと思っていた。しかし彼が新渡戸稲造に質問した1890年前後のベルギーを考えてみると歴史的な背景があったことに気が付く。フランスの初等教育について義務化、無償化に加えて世俗化(無宗教)の三原則が確立されたのが1882年であり(日本の初等義務教育導入は1886年、無償化は1900年、ちなみにベルギーの義務教育制度導入は1914年)、同時代にベルギーでは学校での宗教教育の取扱いを巡って大きな政治的対立の渦中にあったのだ。その時は1894年にカトリック政党が勝利をおさめ、1895年には宗教教育がすべての学校で義務化されている。そうした時間軸の中で新渡戸稲造になされた質問は、今から考えると、教育の世俗化に動く隣国のフランスとは一線を画したカトリック国の面目を示すものだったと言える。ちなみにその後、1950年代に第二次学校戦争が起き、現在ではベルギーの学校では各人が自分の選択で宗派を指定した宗教教育または無宗教の道徳教育を受けるということになっている。

国論を二分してまで争われた宗教教育問題だが、日曜日にカトリック教会に通うベルギー人信者の数は今では5%と言われるほどに激減し、たいていは老人だ。かつては多数の信徒を迎え入れられるように壮麗に数多く建てられた教会だが、ブリュッセル市内でも閉められたままになっている教会が目立つのは寂しい。これはベルギーに限った話ではなく、例えば戦後英国の代表詩人だったラーキンはひと気のない教会に入り込んで、「毎週形が判別しにくくなり、目的が漠然として行く」と「教会へ行く」の中で詠っている。カトリックという国の統合の象徴が弱まると、言語圏の対立が表面化する。欧州でも中世以来の有数の歴史を誇るルーヴェン・カトリック大学が1968年に言語問題で分裂し、元のキャンパスがフラマン語大学となり、30キロ離れたところにフランス語圏の新キャンパスが出来たのも、カトリックの統合力の衰えと言われている。土地の所有権問題で都市計画がままならない日本から見ると、直ちに新キャンパスを建設できるのはすごいと思うのだが。

かつてカトリック教会が果たしていた国の統合の象徴は、現代では何かと言えば、サッカーではないだろうか。最近のブラジルで開催されたW杯の最中は、人々がベルギー国旗を振りかざし、国歌ブラバンソンを合唱する光景を何度か目にした。ベルギーチームの選手たちの素晴らしい活躍を支えたのは、マルク・ヴィルモッツ監督やヴァンサン・コンパニ主将がフランス語とフラマン語、時にはドイツ語も自由に操って、チームとしての一体感を盛り上げたことにあるように思われる。もう一つの統合力は人気が高まりつつあるフィリップ国王陛下を中心とする王室と見ている。ホスト国として常に我々WCOを支持して下さっており、2012年のWCO60周年記念式典にもご臨席いただいたが、若い家族が複数の国語をこなし、各地方のバランスを取りながら国の求心力となっている姿には感銘を受ける。ベルギーの政治家も語学力も活かして、外交界、特に欧州で大きな影響力を振るうことがあり、ファンロンパイ欧州大統領が最近の例だ。こうしてみると、母国語一つしか話さない日本人はベルギー人に比べて怠惰ではなかろうか。

国の統合に加えて、個人の精神の支えの役割を担っていたカトリック教会だが、それでは現在のベルギー人の心の拠り所はというと、家族ではないかと思う。週末や休みに甥姪も含む大家族でよく集まっているのを見聞する。社会的な成功に関係なく付き合いが続くようだ。また身内に患者や身障者を抱えても、家族が犠牲になることなく、公的介護が行き届いている。介護疲れの家族が多い日本に比べ、当地では介護する家族が地域サービスに頼れて、自身の生活を楽しむ時間がある様子も目にする。また、気分を転換できるような森や自然が大都会のすぐ近くに整備されている。

こうした手厚い社会保障が家族生活を支えてきたとも言える。ただそれにはコストが掛かっており、その維持を巡って政党間で多くの論争があり、言語圏対立もそこに根があるのではないかと考えている。もっともそもそも国が豊かでなければ社会保障制度は成り立たない。実際に2013年の一人当たりGDPを比較してみると、ベルギー(45千ドル)の方が日本(38千ドル)よりも高い。

歴史的に見れば、この国では中世以来、細部へのこだわりや職人的誇りを持って生み出された製品やサービスの生産・貿易を通じて富が集積されたのだろう。例えば欧州各地の教会で素晴らしい木彫りの説教壇、タペストリーや工芸品を見ると、現在のベルギーにあたる地方の産品であることが多い。こうしたこだわりは、街中のアールヌボやアールデコの建築にも反映されているし、現在国際的に評判の高い料理やお菓子作り、更には人々が日々の食材を購入する様子にも顕著に見られる。

ベルギーの歴史についての記述が多くなったが、それはこの国に住んでいると歴史の足跡を日々感じるからだ。特にブリュッセルは国際都市化しているが、ベルギーは強い個性を保持している。仕事上多くの時を国外で過ごしているものの、年数を経るに従ってその特性を強く感じさせられる。まことに興味の尽きない国だ。

御厨 邦雄 みくりや くにお

世界税関機構(WCO:World Customs Organization)事務総局長。2009年1月の就任以降、国際標準の作成、貿易における安全確保と円滑化の両立、歳入強化、民間とのパートナーシップ向上、税関改革・近代化に向けたキャパシティ・ビルディング等、世界の税関が直面する課題への対応にリーダーシップを発揮。WTO貿易円滑化協定の実施支援についても積極的に推進している。

WCO勤務以前は、我が国財務省で25年間を勤務。その間、省内各局の様々なポストで税関、貿易、開発、予算、財政政策等に関する経験・知識を深め、関税局では監視課長として不正貿易の取締強化に取り組むとともに、国際調査課長として我が国初のEPA締結に寄与した他、参事官として多国間協力を担当。主計局時代には、給与課長及び主計官(外務・経済協力・通産担当)を歴任。この他、在ジュネーブ政府代表部参事官としてGATTウルグアイラウンド交渉に参加した経歴も持つ。

東京大学法学部卒
英国ケント大学博士(国際関係学)