ベルギーと私

ベルギーと私

有森 正

わたしがはじめてベルギーを訪れたのは37年前の暑い夏だった。
画学生だったわたしは友人と二人で夏休みを利用してヨーロッパを目指した。
いわゆるカニ族といういでたちで大きなバッグパックをしょっての旅。
唯一の贅沢は、ユーレールパスを使った格安の周遊列車の旅で、
一等車を使え快適な移動だった。それぞれの国内旅行は貧乏旅行だったので、20キロの荷物を担いでよく歩いたものだ。
羽田から南回りの飛行機で19時間かけ台北、バンコック、カルカッタ、バクダッド、フランクフルト、パリ。
そして、イタリア、トスカーナの山々、中世絵画、ルネッサンス絵画に出会うために。
そして旅の後半は、ブリュッセル、ゲント、ブルージュと、夢のように美しいベルギーの街々を訪れた。
この時が初めてのベルギー体験で、いつまでも暮れない風景が、マグリット絵画そのもの!でびっくりした。
また。ゲントでみたファン、アイクの“神秘の子羊”「テンペラ画と油絵の併用技法の極致」、
それはまるで、七宝やオパールのような絵肌、湿度や時の流れまでも感じる絵の質感「マチエール」、
そこに描かれた物語「テーマ」をこえて、ひとつの物質的存在としての絵画に圧倒されてしまった。
この地方は油彩画の創始者ファンアイク兄弟や、メムリンク、ブリューゲル、ルーベンス、レンブラント、
バンダイク、フェルメール、等が至高の絵画芸術を生んだ。私は今彼らを育んだこの地ベルギーにいることの幸せ。
振り返ると1970年頃の美大生の風潮は、激しかった学生運動も鎮まり新たな模索を始める中で、
アメリカやヨーロッパの現代美術を踏襲することが一つの目標にもなっていた。
しかし私は絵を描くことそのものに興味があり、師事していた指導教授の勧めもあって、
とにかく一度、ヨーロッパの古典絵画や現代絵画を見てみようと思ったのである。
さて行くことは決めたが、資金がない。今の為替とは比べようもなく円が安く、
1ドル360円の時代に学生が海外へ行くのは給費留学を除けば至難の技であった。
とにかくかけもちのアルバイトで旅行資金をため始めたが、目標額になかなか届かず旅行代金の支払い日が迫ってきた。
美大を受験という道を目指してからは、親の仕送りもなく、自活しながら美大受験予備校に通っていたので
親に頼ることは潔くないと意地になっていた。でも、思いがけず両親が足りない分を送金してくれたので、
かろうじて間に合った。ほんとうに涙が出るほど嬉しかったのを思い出す。
中高時代から、科学者にあこがれた夢見る少年は、物理受験の挫折で美大受験という180度の大きな進路変更をした。
“この世界ってなんだろう”という素朴な疑問が少年時代からいつも頭の中にあった。
美しいものや、素晴らしい絵画や映画、そして音楽に憧れが高じてきて、
その世界にかかわるには芸術家が一番向いていると思った。レオナルドダビンチだって科学者兼芸術家じゃなかったっけ。
ならば画家の道を目指そうという大それた目標を立てた。それなら、美大に行く必要があるなと思った。
当時美大は芸大をはじめとして、どこの大学も大変な難関であった。
なぜ不安定で成功するともかぎらない芸術家をこんなにも多くの若者が目指すのか。今でも不思議な気がする。
それは創造や、芸術行為が人間の根源的欲求だからではないだろうか。
今、私がこのベルギーと日本で芸術活動を続けてこられたのも、若いころの怖いもの知らずの思いこみの結果であったとおもう。
最近は日本の若者の海外留学が減っていると聞く。でも何でも見てやろう、海外へ飛び出そうという気持ちはほんとに大事なことではないだろうか。
私の海外体験のもっとも大きな収穫はいろんな物事、例えば、文化の違い、宗教や考え方の違いに対して
相対化してみることができるようになったことである。
私は予備校時代に教師にも恵まれ、芸大に入学ができた。そこでもまた素晴らしい指導者、田口安男先生に出会った。
先生は東西の芸術文化に通じ、独創的な絵画世界を発表されていた。また先生は、本格的なイタリア古典絵画である黄金背景テンペラ画(金地テンペラ画、
とくにキリスト教絵画の技法で、板の上に布張りし石膏を重ね、卵とお酢で練った顔料でキリストやマリア像などを描き背景や装飾に金箔を使う技法)の日本での紹介者でもあり第一人者でもある。新しい日本の現代絵画を模索され、絵画技法の現代的解釈によって新しい絵画を創生することに情熱を傾けられていた。
そこでみたものは絵画技法を単なる絵のテクニックではなく、芸術行為の重要な方法論にまで高められようとしていたことである。
私たち学生は先生のアトリエでの実習やアシスタントをしながら、幸運にも、絵の下地作りから仕上がっていくまでの創造の現場に立ち会うことができたのである。
かつては絵のしくみ「絵画技法」は画家にとって芸術表現や注文されたテーマを最高の効果で表わすために最も重要な行為であった。
現代は芸術家個人の自我の表出としての芸術活動、個性尊重の中で、いかに独創的で、個性的であるかが価値あるものとされている。
しかし私は過去の知恵から学ぶ意義は非常に深いと思う。
画材の持っている特質を活かすことで、さらに個性を強く発揮できるということは自明のことである。
残念なことに今日多くの美術の先生方や芸術家たちは、絵画技法や古典絵画を学ぶこと、デッサンや写生、そして古典の模写などの習得が、
個性や創造性を潰してしまうという考えに陥っている。
古典絵画の持つその画面の物質的な堅牢さ色彩や構図、表現効果の多様性、そしてマチエールの美しさはもう現代絵画から見出すことは難しくなってきた。
現代芸術家自身が、乱暴なマチエールと粗悪な技法を、自由で個性的で独創的だと勘違いしている。
私は、全く逆の考えで、伝統的絵画技法や考え方を取り込んで現代絵画を志向している。いま私のベルギーでの芸術活動はこの国の多くの人々の熱い好意に支えられている。このベルギーはヨーロッパの伝統文化の宝庫であり、魅力いっぱいである。
はるばる日本から来た一介の画家を友人や家族のように接してくれるこのベルギーをわたしは愛せずにはいられない。
私はいま今縁あってここベルギーの西北部、フランスのリールに程近いトルネーを中心に日本の茨城県と2か所で制作をしている。
ブリューゲルの冬景色やマグリットの世界が皮膚感覚で体験できるベルギーで、絵画の制作にかかわれることはこの上ない幸せである。
だからといって日本や、東洋の美や文化、思想を低く見るということはなく、理解も深まりさらなる魅力に取りつかれている。
思い返せばこのベルギー滞在のきっかけは二つあった。一つは、東京にある日仏会館での個展で、ベルギー人シュザンヌ秋枝女史に出会い、彼女の友人のフランス人ジェニブエ―ブ.オルテガ女史に、パリの展覧会サロンドレアリテヌーベルに推薦してもらったこと。
そして二つ目はその展覧会の縁でブルッセルのグループ展に招待されたことである。そこでの出会いが運命を変えた。
縁が縁を呼ぶこの不思議さ。これからも日本とベルギーを行ったり来たりの日々の中で、
両国の文化交流にささやかでもお手伝いができればほんとにうれしい。