日本と私

日本と私

ジャン・アングルベール

リエージュ大学の若い教授だった1970年に、建築を学んでいた数人を含む若い人たちのグループを日本に連れて行く機会があった。

自分たちの国と極めて違う国という発見は一生の思い出となったと言ってもいいだろう。

私は、1972年に、日本側カウンターパートとの建設分野での意見交換を目的としたフランスの代表団に同行して再来日した。

これが2回目の機会だった。2年前、日本代表団がフランスを訪れた時は、新しくできたル・ヴォーデルーイ市とルーエン市のグラン・マール区を案内させて頂いたのみだったからだ。

前任者のフランス人が退職した際、小国のベルギーからきた私が後任者に選ばれた。それ以来私は、愛想よく、よく仕事をするという評判を得て、有名教授、建設現場監督、技術者、建築家や建築業者と親しくなった。

その後40年間にわたり、私は彼らからの敬意と友好を享受してきた。

やがて3回目の機会がやって来た。ブリュッセルの王宮における正餐の際、天皇皇后両陛下と数分お目にかかった。

それ以来、日本への憧れが止まらぬままだ。

私の“宝”である日本は、多くの事柄を与えてくれた。

豊かになっただけではなく、たくさんの事を学び、特に、自然を気にかけなければならないこと、自然無しには私達は生きていけないという事を学んだ。

日本文化と日本生活様式の影響と貢献を幾つかの言葉で要約するのは難しい。

日本人の哲学である仏教は、私たちの宗教に比較すると、自然が課す困難への準備をより促している。

日本人の互恵的な生活は私たちの個人主義や利己主義と比較して模範的だ。日本人は、地震であろうが津波であろうが、各災害で連帯し、誇りと英知と簡潔さを持って向き合う。

こうした状況の中で日本人は模範的で驚くべき効率的な決定をする。その上、大気汚染や水質汚染への闘いは当惑してしまうほど迅速でしっかりとしている。

日本人の創造力は大きく、時に極限まで達する。1970年には、ソニーの研究所において、私達は通話相手が見える液晶画面付き電話機を試行した。今日、掌におさまるデバイスで、友達を見ながら話すことを当然に思う。

彼らの礼儀正しさと時間厳守は比較のしようがない。

私が中等教育を受けていた頃、ラテン語の先生がよく、「道は理論と共に長く、実例と共に短し」と言っていた。この諺については、日本人の友達が言っていた「百聞は一見に如かず」の極論だと分り、知恵の輪がおさまった。

最後に、私の日本滞在は合計420日間になるのだが、まだ最初の訪日時と同様に、日本に魅せられたままだ。

1998年日本建築学会作品選奨:日本を代表する福田繁雄氏の手による「曲尺」15個 平成7年(1995年)4月29日、天皇陛下より瑞宝中綬章を授与。