ラブレター・フロム・ブラッセルズ

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第十二回 大震災4周年に思う

去る3月11日は、東日本大震災発生からちょうど4周年でした。当地では、それに先立ち、大震災当初から続いているチャリティ・コンサートが行われ、私も出席させて頂きました。また、公邸では、大震災に際して色々な形で支援頂いたベルギーの方々と、過去日本に留学などで滞在した経験のあるベルギーの方々を中心とした「日本の友人グループ(Friends of Japan)」との合同で、改めて、大震災について思いを馳せ、同時に、日ベルギーの関係の強さを再認識する機会を持つことが出来ました。

大震災発生のその時、私は、日本の外務省の自室で、外国からのお客様と会っていました。大きな揺れに二人で驚き、急いで立ち上がって、咄嗟に本棚が倒れないように二人で支えたことを今でも覚えています。そして、テレビをつけると、津波の映像。同時に机の電話は鳴り続け、それからは、殆ど休みの無い日々でした。死者は、約16000名(15891人(注1))、未だに2500名余り(2584人(注1))の方々が行方不明になっている、第二次世界大戦後最大の自然災害でした。

一言で4年と言っても、長くも有り、短くもある、というのが私の率直な印象です。 大震災当初は約47万人に及んだ避難者の数は、昨年12月現在で半分以下になりました。しかし、逆に言えば、未だに約23万人の方々が避難生活を余儀なくされており、その内約8万人以上が引き続き仮設住宅に入居中です(注2)。

東北3県(岩手、宮城、福島)の鉱工業生産指数は、大震災前の水準にほぼ回復しています。一方、大震災関係の補助金を受けている企業について、売上高を業種別にみると、建設業では72%が大震災前の水準に回復していますが、水産・食品加工工業では、その割合は19%に留まっています(注2)。

原子力発電については、既に廃炉が決まっている福島第一を除けば、日本には48基の商業用原子力発電所があり、未だに、その全てが稼働していない状態です。一方、その後日本は、事故の経験を踏まえて、最高レベルの安全を確保するための新しい安全基準を作り、既にいくつかの発電所は、その基準に従った審査を受け、それをパスしています。色々な議論があるとは思いますが、今後のエネルギー需要や地球温暖化問題への対応、更には、日本の周辺諸国で今後多くの原子力発電所の建設が予定されていることを考えれば、事故の経験を最大限生かして、原子炉の安全確保を世界で主導する知的・技術的中心となる、というのは、一つの重要な選択だと思います。

最後に、NHKで報じられた良い話を、特にベルギーの方々を念頭に、皆さんと分かち合いたいと思います。それは、大震災当日のお母さんと男の子の話です。そのお二人は、家を流され、親族を失い、多くの被災者の方と一緒に避難所に入っておられました。悲しみと絶望感の打ちひしがれたお母さんは、下を向いて、泣いておられたと言います。その時、外から男の子の声が聞こえました。「お母さん、外に来てごらん。早く、早く。」何かあったのかと思い急いで外に出たお母さんが見たのは、満面に笑みをたたえ、上を向いて空を指さす男の子の姿でした。「お母さん、空が星で一杯だ。こんなに沢山の綺麗な星を見たのは、僕、初めてだ。」大震災当日は、当然のことながら全域が停電です。その闇の中で、天空には、今まで見えなかったものも含めて、沢山の星が輝いていたのです。NHKの番組では、大震災から4年を経て、この二人が、大震災当日の夜空がどう見えたかをプラネタリウムで見るシーンがありました。お母さんは、「あの日の子供の笑顔を見て、下を向いて悲しんでばかりいてはいけない。上を向いて、前を見て生きていこうと思った。」という趣旨のお話をされていました。私は、これからも、この話を胸に留めておきたいと思います。

ちなみに、最初に申し上げた公邸でのレセプションの際は、当地で現在勉強中の若手ピアニスト小林海都さんに、ミニコンサートをやって頂きました。繊細かつダイナミックな演奏に、出席者の方々は非常に強い印象を持たれたと思います。小林さんは今年20歳になられる若手俊才です。

来年は、大震災5周年であると共に、日本ベルギー外交関係開設150周年の記念すべき年です。その機会に、大震災を切っ掛けに更に親密になった日本とベルギーの関係を、次の世代、その次の世代にも引き継がれる関係にするように努力していきたいと思います。

注1;2015年3月11日付警察庁発表

注2;2015年3月10日付復興庁資料

 

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