ラブレター・フロム・ブラッセルズ

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第十八回 所変われば品変わる

今回は、200周年記念について。

ウォータールーの戦い

 このコーナーでも以前取り上げたように、昨年は第一次世界大戦開始100周年、来年は、日本ベルギー友好150周年に当たりますが、今年は、何と、ウォータールーの戦いの200周年に当たります。
 ウォータールーの戦いは、1815年6月18日に、ナポレオン率いるフランス軍と、ウエリントン率いる英蘭連合軍及びブリュッヘル率いるプロイセン軍の連合軍との間で行われた戦いです。ナポレオンはこの戦いで敗れ、その後皇帝の座から引きずり降ろされ、セントヘレナ島に流され、1821年にこの世を去ります。ウォータールーの戦いは、ナポレオンの最後の戦いだったのです。  この戦いが行われた場所は、実は、ブリュッセルから車で約30分程度のところにあります。現在のワーテルロー(ウォータールーのフランス語読み)市から2キロも離れていない草原がその場所で、そこには、「ライオンの丘」と呼ばれる人工の小高い丘があり、265段の狭い階段を上ると、その頂には、フランス軍の大砲を溶かして作られたと言われる、大きなライオンの像が、フランスの方向を睨んで立っています。それに登ると、戦いが行われた場所全体が見渡せます。ここで皇帝ナポレオンの夢が潰えたのかと思うと、感慨深いものがあります。
 200周年に合わせて、ウォータールーの古戦場では、色々な展示施設が一新されました。新たに建設された施設は、景観を害さないという配慮から、地下に造られています。そこでは、従来からの軍服や兵器の展示に加えて、最新のデジタル化されたプレゼンテーションを体験することができます。その一つは、特別な眼鏡をかけてみる3D映像で、今にも自分に大砲の弾が飛んできそうな迫力があります。
 ただ、一つ面白いのは、その展示の殆どが、ナポレオンに関する物なのです。負けたにもかかわらず、戦いの主役は常にナポレオンです。その展示を見ていると、あたかも、王政を引く旧勢力に対して立ち上がった時代の寵児であるナポレオンを、旧勢力である英国やプロイセンが寄って集って苛めて、結局フランスを旧来の王政に戻してしまった、というストーリーに見えます。イギリスで研修生活を送った身としては、ちょっと話が違うのではないか、主役はあくまでウエリントンで、英国が大勝した戦いのはず・・・と思ってしまいますが、確かに、歴史を大きく見れば、ナポレオンを中心に据えるのは間違いではないかもしれません。「所変われば品変わる。」というところでしょうか。
 実は、この200周年に合わせて、実際の人間によって戦いを再現するイベントが6月18日以降数日行われ、私も招待され、見る機会を頂きました。夜の10時くらいまで明るいこの時期に、夜の8時から2時間かけて行われたスペクタクルは、相当のもので、非常に印象的でした。

小牧長久手の戦い

実は、ワーテルロー市は、1992年10月から、同じ古戦場として有名な愛知県長久手市と姉妹都市関係にあります。今回のイベントにも、長久手市から副市長他の代表団が交流事業としておいでになっていました。小牧長久手の戦いが行われたのが1584年ですから、ウォータールーに比べて倍以上の歴史があります。この戦いは、戦術的には織田・徳川軍に一日の長があったが、これを契機に、秀吉の天下統一に向けた流れができた、という、どちらが勝者かはっきりしない戦いです。これも「所変われば品変わる」(見方によって、どちらが勝者かが変わる。)の一例でしょうか。

姉妹都市と言えば、

 姉妹都市と言えば、先日は、世界で一番小さな町として知られるベルギーのデュルビュイ市に伺い、1994年11月から姉妹都市関係にある埼玉県羽生市との間の交流事業に参加させて頂きました。羽生市からは市長がおいでになっており、デュルビュイ市長との間で、来年の日ベルギー友好150周年に向けて、若者の交流などを通じて、姉妹都市関係を一層拡充する計画について議論されました。非常に有難いことだと思います。デュルビュイは、皇太子殿下、妃殿下も御訪問になったことのある美しい町です。
 7月後半には、今度は、1965年7月から続く最も古い姉妹都市関係にある兵庫県姫路市の代表団が、相手のシャルルロア市を訪問されます。私も、お声を掛けて頂いています。 このような機会に参加するたびに、二国間の交流を支えて来られた、色々な方々のご努力に頭が下がる思いです。来年の友好150周年に向けて、益々交流が活発化するように、微力ながら、私も努力したいと思います。

 

 

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