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第三十三回 3月と言えばー雛祭りと大震災5周年

2016年3月15日

ついに3月です。日に日に、春の気配が強くなってきています。ここ数日は、珍しく、素晴らしい「ブリュッセル晴れ」です。それでも、つい、習性で傘を持って外出してしまうのですが・・・

雛祭り

160307_HinaNingyou5 3月と言えば、日本では、まずは雛祭りでしょうか。大使館の広報文化センターには、広報用の7段飾りがあり、この時期には、大活躍します。

日ベルギー友好150周年である今年は、特別な雛祭りとなりました。なぜなら、日本の雛人形を、ベルギー王室にご献上することができたからです。その献上式は、3月7日、王宮で行われました。通常であれば、王室の方々が、このような献上をお受けになることは無いのですが、今回は、150周年の機会ということで、特例としてお受け頂きました。この行事は、ベルギー王室のHPでも紹介されています。https://www.monarchie.be/fr/agenda/audience-394

私は,生憎海外出張中で出席できませんでしたが、献上式には、献上された親王飾りを作成した日本の人形作家ご夫妻と、大使館から、山田公使、栗原広報文化班長、そして、私の家内が出席しました。あらかじめ献上用の親王飾りを王宮内に飾り、その後マチルド王妃がお出ましになりました。王妃は、雛人形に大変ご関心をお持ちになったようで、雛人形そのものや、その衣装の由来などについて、種々ご質問になり、人形作家の方からお答えしました。なお、国王陛下ご一家への献上に加えて、衣装の異なる親王飾りが、フィリップ国王陛下の妹にあたられるアストリッド王女殿下御一家にも献上されました。
ベルギー国王家では、フィリップ国王陛下とマチルド王妃陛下の間に2男2女のお子様方がいらっしゃいますが、元首継承順位第一位は、長子で現在14歳である長女のエリザベート王女殿下です。日本の伝統的な雛人形が、ベルギー王家の次の世代の元にも届いたということは、これからも両国の友好関係が長く続くことを確信させるもので、素晴らしいことだと思います。

大震災5周年

160311_HasseltJapaneseGarden3.jpg 次いで、3月11日の東日本大震災です。今年は、ちょうどその5周年に当たり、ベルギーでも、慰霊の行事がいくつか行われました。

 私は、午前中には、北部のハッセルト市にある日本庭園で、同市とBJA(日本・ベルギー協会兼商工会議所)の共催で行われた大震災5周年記念式典に出席しました。この日本庭園は、姉妹都市関係にある伊丹市から寄贈された素晴らしいものです。

震災1周年に植樹された桜の木の前で行われた式典には、クラース・ハッセルト市長、デクラークBJA会長もご出席になりました。関係者のご挨拶の後、鐘の音とともに、約100名の出席者全員で黙祷を捧げました。天気にも恵まれて、素晴らしい式典だったと思います。

そして、夜には、今回で6回目となるチャリティーのための「復興コンサート」が行われました。「FUKKO」というのは、今でこそ,ベルギーの中でも多くの人に理解される言葉になっていますが、大震災が発生した年からこのコンサートを立ち上げ、これまで続けてきた一番の功労者は、バイオリニストの堀米ゆず子さんです。堀米さんは、ベルギーで長い歴史を持つ音楽コンクールであるエリザベート・コンクールで、日本人で初めて第一位になられ、その後、ベルギーを拠点として,日本を含む世界各地で活躍しておられます。

160311_fukkoconcert4.jpg 今回のコンサートも、堀米さんの「友人力」無しには成り立たなかったと思います。普通であれば考えられないほどの著名な演奏者の方々が、それも、多忙な日程をやりくりして、わざわざこのコンサートのために駆けつけてくれたのです。ピアニストのマルタ・アルゲリッチさんは、ドイツでの公演の合間を縫って参加し、公演終了後、真夜中にドイツに帰って行かれました。チェロ奏者のミーシャ・マイスキーさんとその娘さんも、同じくドイツでの公演中に駆けつけました。そして、堀米さんの友人である被災地仙台出身の若手バイオリニスト・大江馨さんも参加され,素晴らしい演奏を披露されました。800人を収容可能なフラジェのコンサート・ホールは、殆ど満員でしたが、皆さん、演奏を堪能され、大震災の復興の重要性に改めて思いを致す、素晴らしい機会になったと思います。コンサート開催に尽力された関係者の皆様、どうも有り難うございました。

再び「苦しい時の友」

この東日本大震災5周年と、日ベルギー友好150周年が重なったのは、単なる偶然ではないような気がします。過去150年の間、日本とベルギーは、「苦しいときの友」でした。そして、東日本大震災は、その関係が最高潮に達した時の一つだったのだと思います。日本は、ベルギーの友人から頂いた恩義を決して忘れることはありません。ただ、18000人以上の人命を奪った大震災の惨禍から立ち直るためには、5年はまだ道半ばです。これからも続く復興(FUKKO)の道のりを,ベルギーの友人の方々に、引き続き温かく見守って頂けると有り難く思います。

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