第8回 ベルギー大使のもう1つの顔
2013年2月8日
私には「統計好き」というネクラな趣味があって、時間があるといろいろな統計を飽きることなく見ています。まあ言ってみれば数字の羅列に過ぎないのですが、想像力をたくましくして眺めていると、固定概念とは違った世界が見えてくることもあります。先日はインターネットでOECDの国別統計を検索し、日本とベルギーの人口動態を比較して、その類似点や相違点をチェックしてみました。日本の国民人口は2006年をピークに減少過程に入りましたが、ベルギーの人口は今も増え続けており、15歳以下の人口が占める割合も日本の13%に対してベルギーは16%、逆に65歳以上の人口は日本の23.1%に対してベルギーは17.6%に過ぎません。高齢化社会は日本の方がだいぶ進んでいるようです。また、外国人の割合を見ると、日本では過去10年近く1.5%前後を推移しているのに対して、ベルギーでは9.8%に達し、しかも毎年この割合が上昇し続けて多国籍社会化している様子が読み取れます。ところで、このOECD統計には年間総労働時間も記載されており、「ベルギー人は働かない」という一部の見方の真偽を確かめることが出来ます。因みに日本は1773時間、ベルギーは1551時間で、1週間(土、日を除く)単位に換算すると日本が34時間、ベルギーが30時間となります。「やっぱりベルギー人は働かないのだ」という結論になりそうですが、敢えてベルギー人の名誉のために一言付け加えると、1551時間という年間総労働時間はフランス人とほぼ同じで、ドイツ人の1419時間に比べれば可成り多いのです。ヨーロッパ人と比較すれば、むしろ日本人の方が働き過ぎと言えるかも知れません。残念ながらOECDの統計には「仕事の効率」に関するデータは記載されておりません。
<変貌するNATOの役割>
ブリュッセルは世界で最も多くの大使が駐在する街であることをご存じでしょうか。何と300人近いのです。その理由は簡単で、この街に欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)という2つの国際機関の本部が所在するからなのです。このため、多くの欧米諸国はブリュッセルに3人の大使を派遣しています。日本はNATOの加盟国ではありませんので、私とEU代表部大使の2人です。ただ、日本とNATOの関係は近年大きく発展しており、このためNATO関連の仕事も増えています。これを、ベルギー大使である私が兼任しています。
NATOはもともと第二次世界大戦後の冷戦構造の中で、いわゆる「西側」の軍事・安全保障組織として生まれたものですが、冷戦終了後の今日では北大西洋という地域に限定されることなく、中東地域や西アジア、そしてアフリカの問題にまで関心を向けるに至っています。アフガニスタンの復興にNATOが深く関わっていることは広く知られていますが、この問題をめぐって日本とNATOの連携が深まっていることは余り知られていません。更に、海洋の安全保障やサイバー・テロなどの新たな課題をめぐっても情報交換が行われています。
このため、ブリュッセル着任後の私は、ラスムセン事務総長をはじめとするNATO幹部への表敬を行い、NATO加盟28ヵ国の中の主要国大使(常駐代表)とも挨拶を兼ねた懇談を重ねて来ました。更に、いくつかの国とは我が大使館と各国常駐代表部との間で意見交換会を開催しました。先月には日本から河井衆議院外務委員長が来訪されて、ラスムセン事務総長との会談も実現しています。今後はNATO幹部の訪日や日本からの更なる要人来訪を実現して、日本・NATO関係の一層の強化を図って行きたいと思っています。
<国家評議会という王朝文化の遺産>
先月、国家評議会(State Council)のロベール・アンデルセン第一議長を表敬訪問し、40分ほど懇談しました。国家評議会とは日本人には馴染みの薄い国家機関ですが、ベルギーでは16世紀の初め、かのカール5世(神聖ローマ皇帝)の時代まで遡る古い機関です。その主たる役割は行政不服への審判と法案の事前審査など司法関連事項に関わる諮問に答えることです。評議会は50名の司法官magistratで構成され、その指名は、評議会自身の総意による提案をベースに(内務大臣の了承及び議会への通報という手続きを経た上で)国王が行っているようです。フランスやスペイン、イタリアにも同じ国家評議会の制度があり、この機関はどうもラテン圏王朝文化の名残のようですね。興味深かったのはブリュッセル市内シアンス通りにある大変立派な評議会本部の建物の歴史です。もともとは18世紀に貴族の館として建てられたのですが、その後、東宮の住居となり歴代国王の中にはこの建物の屋根の下で生まれた方もいたようです。第二次大戦後は一時米国大使の公邸となり、大使が移転した後に国家評議会が入居するという変遷を辿ったとのことです。ただ、今では評議員を補助する法律スタッフや事務局職員の数も増えて、本部だけでは収容出来ず3か所に分散しているとのお話でした。日本とはだいぶ事情が違うようですね。
<ベルギーの兵器産業>
先日、「FNエルスタル社」を訪問しました。ブリュッセルから約100km、高速道路を東の方向に1時間ほど走るとリエージュというワロン地域(フランス語圏)の中心都市(人口20万人、ベルギーで5番目に大きな街)に至ります。そのリエージュを通り過ぎて、同じ高速道路を更に数分走るとエルスタル(Herstal)という小さな町の所在を示す道路標識が目に入り、そこを下りて町中を少し走ると赤レンガ造りの古風な建物に行きつきます。この建物こそベルギーの兵器産業を代表する「FNエルスタル社」(地域政府公社)の本社なのです。この会社は今から120年以上も前に設立され、当初は「モーゼル89」と呼ばれたライフル銃を製造する小さな企業でした。ところが、その後、短銃や機関銃の製造も行うようになり、今や米国のブロウニング社をも傘下に収める世界的な銃器製造会社に成長しています。日本の陸上自衛隊も国内でライセンス生産された同社のMINIMI(5.56mm機関銃)を使用しています。また、この会社は、1970年以来、高知県南国市にあるミロク社と技術提携しており、そこで製造されたショットガンやライフルを仕入れて彫刻加工もしています。思わぬところで日本と繋がっていることを知り、驚きました。
先日の地元紙に2011年の欧州各国による兵器輸出のランキング表が掲載されておりましたが、その記事によると同年のベルギーからの兵器輸出は総額834百万ユーロ(約1千億円)で、欧州では9番目だそうです。興味深いのは、軍事用銃器の部門でベルギーは欧州で2番目の輸出国であり、更に厳密な意味で「軍事用銃器」を定義すると欧州一の輸出国(輸出額231百万ユーロ)になるということです。上述したFNエルスタル社こそ、この「軍事用銃器」輸出の中核企業なのです。また、同じ記事によると、2011年のEU諸国による輸出の38%以上を兵器輸出が占めており、その第一の輸出先がサウジアラビアなどの中東諸国だそうです。スウェーデンやオーストリアなど「平和国家」・「中立国」のイメージすら持つ国々の兵器輸出額は何とベルギー以上。国際政治の裏側を覗き見る思いがしますね。
<3人の日本人サッカー選手>
先述のリエージュ訪問の際、同地のプロ・サッカー・チームである「スタンダール」の本拠地を訪ね、ドシャトレ会長らと昼食を共にしました。食事の後には同チームに所属する日本人選手3人が合流してくれて懇談する機会を得ました。「スタンダール」はベルギー1部リーグ(全16チーム)で現在4位につけており、上位6チームで争われるプレイ・オフへの進出が濃厚になっています。私としては、日本代表チームの正ゴールキーパーである川島永嗣(えいじ)選手の他に、今年1月からロンドン・オリンピックで活躍した俊足フォワードの永井謙佑選手や横浜マリノスから若手の成長株と目される小野裕二選手も加わって、同一チームに一挙に日本人選手が3人も顔を揃えてくれたことは、嬉しい限りです。彼らの大いなる活躍を期待したいと思います。
<企業訪問第5弾は日本の農薬2社>
 先日、ブリュッセル市内にある三井アグリサイエンス・インターナショナル(MASI)社(2001年設立)を訪問し、欧州における農薬販売事業の現状についてお話を伺いました。この会社は、もともと三井物産・機能化学品本部のアグリサイエンス部門が母体であり、欧州市場を対象に、主に日本の農薬品を「セルテイスceltis」というブランド名で販売しています。また、同じビルの中に事務所を有する「K-Iケミカル・ヨーロッパ社」(2007年設立)はクミアイ化学工業とイハラケミカル工業の合弁会社で、日本の本社で製造した殺虫剤、殺菌剤や除草剤などをMASI社経由ないし独自のルートで欧州市場に出しています。
農薬の世界市場は年間総売り上げが470億ドルの市場(2011年)で、特に過去10年近く欧州市場は急成長を続けています。ただ、この間に、市場の寡占化も進み、スイスのシンゲンタsyngenta社やドイツのバイエルbayer社など世界のトップ6社で市場の80%近くを占有するに至っているそうです。世界の上位20社で見ると日本企業も健闘しており、トップ10入りをしている住友化学を筆頭に合計8社(クミアイ化学、三井化学を含む)が名を連ねています。欧州ではぶどう、ポテト、トマトといった野菜・果物の栽培に使用する殺菌剤が良く売れているそうですし、ユニークなケースとしてMASI社の下請け会社がドイツ鉄道の線路除草事業を請け負っている事例などがあるようです。このような話を聞くと、いろいろなところで日本企業が頑張っていることが実感され、嬉しくなりますね・・・。
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