第4回 企業訪問シリーズの始まり
先日の地元紙に今年1-6月の犯罪統計に関する記事が出ておりました。それによると、この6ヵ月間におけるベルギーの総犯罪件数は52万4千件で、前年同期の55万5千件から件数で約3万件、率にして5.6%ほど減少しているようです。この数字は私たちベルギー在住者の生活実感と異なるのですが、それもその筈で、減少しているのは主に強盗殺人などの凶悪犯罪、武器の不正取引、麻薬事犯など私たちの日常生活には直接関わって来ない犯罪で、窃盗(もの取り)、恐喝、警官や郵便配達人を装った詐欺、銀行カードへの不正アクセスなどの身近な犯罪はむしろ40%近く増えています。特に、在留邦人の間で話題になる「空き巣狙い」は当該6ヵ月間で36507件(住宅1万軒あたり76軒)発生しており、前年同期比で10.8%増加しています。この数字を5年前と比べると31.8%の増加だそうで、東欧からのプロの窃盗団が移動しながら各地で「空き巣狙い」(宝石・貴金属盗みが主な目的)を行う事犯が増えていると報じられています。他方、車の盗難や車上荒らしは10%以上減少しているようで、これは朗報なのですが、ブリュッセルなどの都会では状況はむしろ深刻化していると書かれていますので、日々の不安は拭えません。因みに、これらの数字を日本の場合と比較すると、2010年の法務省統計によれば半年間の犯罪件数が79万3千件ですから、国民人口を加味して単純比較したベルギーの犯罪発生率は日本の約8倍ということになります。ウーン、確かに事態は深刻ですね。
<ルーヴァン・ラ・ヌーブに開所したAWEXジャパン・オフィス>
先週、ブリュッセルの南東30kmほどのところにあるルーヴァン・ラ・ヌーブ市を訪れ、AWEX(ワロン地域政府の貿易・外国投資振興庁)によるジャパン・ウェルカム・オフィスの開所式典に来賓の一人として出席して来ました。ささやかな式典でしたが、ジャパン・ウェルカム・オフィスが置かれるサイエンス・パークの所長や地元の大学関係者なども出席した家族的雰囲気の楽しいイベントでした。ジャパン・ウェルカム・オフィスに常勤するのはミオ・マースさんというベルギー人の女性一人ですが、彼女は文部科学省の奨学金を得て東北大学に2年間留学した経験があり、母親が日本人ということもあって日本語がとても堪能でした。AWEXはワロン地域(フランス語圏)への外国企業の投資を誘致するために、既に、中国、インド、ラテンアメリカ及び欧州を担当するオフィスをそれぞれ開設済みで、ジャパン・ウェルカム・オフィスは5番目になるそうです。来年にはASEANと北米を各々担当するオフィスも開く予定とのお話でした。
私は、式典でのスピーチにおいてAWEXによるジャパン・オフィスの開設を歓迎しつつ、3つの留意事項として、オフィスを運営するに当たって「待ちの姿勢」ではなく積極的に打って出るべきこと、大手企業による大規模投資を期待するのではなく、高度技術を持つ中小企業を誘致して地元の大学・研究機関との連携を模索すべきこと、日本企業は投資決定に時間をかける傾向があるので短期的な成果を期待すべきではないこと、を申し上げました。大使館としてもジャパン・ウェルカム・オフィス事業の成功のため出来るだけの支援をしたいと思います。
<2つの日本・ベルギー代表企業の訪問>
同じく先週、ブリュッセルの北東60kmほどのところにあるベエルスという小さな町を訪ねました。目的はベルギーを代表する製薬会社であるヤンセン社の訪問です。小雨の降る中、トム・ハイマン社長らの出迎えを受けた後、3時間半に亘り会社の説明会から工場見学そして昼食会という濃密な日程を過ごすことが出来ました。この会社を訪問したのは、ベルギーに赴任する前の去る9月に東京西神田にある同社の日本支社を訪ねたことがあるからで、その時にお会いしたトウーン・オーヴェルステンズ支社長(同月末に離日)と本社で再会することを約束していたことも理由の1つでした。1953年に若干27歳のポール・ヤンセン氏(2003年に逝去)が創立したこの製薬会社は今やベルギー国内だけで4000人以上の従業員を擁する大会社に成長しています。日本との関係も深く、毎年、多額の医薬品を輸出している(因みにベルギーの対日輸出の33%が医薬品)他、1978年には日本支社(現在の従業員数は2000人)を設立しています。ヤンセン社は、がん、免疫疾患、中枢神経疾患及びエイズなどの感染症の分野における医薬品開発の先駆者であり、今でも販売実績の20%以上がこれら分野への研究開発投資に向けられているそうです。これは創立者であり、新薬開発に生涯を捧げたポール・ヤンセン氏(ベルギーでは知らない人がいないほどの有名人で、いわば立志伝中の人物)が残した伝統のようです。高齢化社会が進む日本では医薬品需要は高まるばかりですから、ヤンセン社と日本との関係も今後一層深まるのではないでしょうか。
なお、ヤンセン社を訪問した翌日に、ベルギーの最西端にあるオステンドの港町(ブリュッセルから西へ120km)まで赴き、空調大手のダイキン・ヨーロッパ社の工場を見学させてもらいました。この会社は今から40年前の1972年に設立されており、従業員総数(今年3月時点)が5281人で、このうちオステンド工場だけで1341人を占めています。主に家庭用エアコンと大型空調の製造販売を行っており、昨年の販売総額は2千億円弱だそうです。マーケット・シェアとしては国ごとに違いはあるものの概ね20~30%で、業界トップを争う位置にあるとのことでした。工場の立地先としてオステンドを選んだのは、空調の主要市場であった英国に近いことと、スキル・ワーカーや英語を話す人材の確保が容易であったこと、そして地元の西フランドル州による投資優遇措置があったことなどだそうです。ダイキン・ヨーロッパ社は人口7万人のオステンドの町では最大企業の1つで、2010年には近くの道路に本社の井上会長の名前が付けられたそうです。何ともあっぱれですね。
<ベルギーのユネスコ世界遺産>
先日、ブリュッセルから南西に離れること約85km、フランスとの国境に近いトウールネという人口7万人ほどの町までドライブし、ユネスコの世界遺産に登録されているノートルダム大聖堂を見学して来ました。その規模の壮大さと12世紀に遡ると言われる尖塔の圧倒的重量感に気おされました。ロマネスクとゴシックの2つの建築様式が混在しており、大聖堂が数百年の間に増築・改築を繰り返した様子が窺がえます。毎度のことながらカトリック教徒の人々が教会建築に傾けた宗教的情熱の強さとその持続力には心から感動します。(宝物殿に陳列されている黄金の聖遺物箱や聖体顕示台の数々も実に見ごたえのある立派なものでした。)
ところで、ベルギーにはユネスコから世界遺産に指定されているものが11ヵ所あります。有名なものとしてはブリュッセル中心部にあるグランプラスの建築群やブリュージュ(ブルッヘ)の歴史地区などがあります。興味深いものとしては、フランドル地方各地に点在する「ベギナージュ」と呼ばれる中世の女子修道院群があって、十字軍の時代に遡るベルギーの歴史の一端を偲ぶことが出来ます。他方で、日本人観光客が全く足を運ぶことがない文化遺産として「サントル運河の4つのリフト」や「スビエンヌの新石器時代の火打石採掘地」などがあって、こちらは玄人好みの遺産になっています。また、ベルギーが誇る近代建築の分野では、「建築家ヴィクトル・ホルタの主な都市邸宅群」や「ストックレー邸」(いずれもブリュッセル市内)などが世界遺産に指定されているのですが、これを知る日本人は少ないと思います。ベルギーの世界遺産の場合、すべて文化遺産で、自然遺産が全くないのも特徴の1つと言えるかも知れません。なお、ユネスコの世界遺産条約が発効したのは1972年で、今年1年を通して世界各地で40周年を祝う記念行事が行われ、日本でも11月に京都で大規模な記念シンポジウムが開催されています。現在、世界にはユネスコから世界遺産に指定されているものが文化遺産及び自然遺産を合わせて964件あり、それらの保存・保護の在り方などをめぐって様々な課題が浮上しています。制度自体が大きな曲がり角に来ているのかも知れませんね。
<ベルギーの貴族たち>
ベルギーで石を投げると必ず当たるのは外交官か貴族だそうです。国際都市ブリュッセルに外交官が多いのは当然として、貴族が多いのは何故なのでしょうか。この謎は、先日、男爵の爵位を持つ方が自ら居住するお城(シャトー)で主催した夕食会に招かれた折に、氷解しました。そこで得た「ベルギー貴族情報」によると、現在、ベルギーにおいて貴族の肩書(タイトル)を持つ家族(個人)は1300家族(2万人)に及ぶそうで、このうち、ベルギーの独立(1830年)前から貴族爵位が相続されている家族は約400家族にとどまるとのことです。特に、14-15世紀にブルゴーニュ公爵領となった時代に多くの貴族が生まれたようです。また、ベルギーでは憲法によって国王の爵位授与権が定められており、現在でも毎年新しい貴族が生まれています。政治やビジネス、あるいは科学・芸術からスポーツなどの分野で国の名誉を高め、社会発展に多大な貢献をした個人に伯爵、子爵及び男爵の爵位が授与されるのですが、ただ、この「新貴族」の場合は原則として家族・子孫への爵位相続が認められていないとのことです。何となく、日本の勲一等、勲二等といった昔の叙勲制度に似ている気がしますが、違うのは、日本のように「原則70歳以上」といった年齢基準がないことでしょうか。因みに、最近では、宇宙飛行士に子爵位が、また競輪選手に男爵位が授与された例があるそうです。ベルギー外務省の「貴族課」が行政事務を担当し、「新貴族」への証書発行や登録料の徴収などを行っているそうですが、何故こういった事務が外務省の担当なのか私には謎でした。
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