大使のよもやま話

平成25年6月21日

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第21回 ベルギーの税金事情


「ベルギーは税金が高い国」と何となく思っていたのですが、最近、欧州統計局が発表したEU各国の法人税と個人所得税の比較表を見て驚きました。ベルギーの付加価値税(消費税)は21%で、欧州の中でも高い部類に入り、日本の5%(来年4月から8%、その後10%に引き上げられる見込み)とは比較になりません。法人税については33.99%で、フランス(36.3%)よりはわずかに低いものの、これも欧州では最上位クラスです。因みに、ドイツは29.8%、英国は23%で、10%台という国すらあります。日本は先の法改正で30%から25.5%(中国、韓国並み)に引き下げることが決まっていますが、それでも欧州の平均レベルになるというところですね。驚くべきは個人の所得税で、ベルギーの場合、平均で42.3%、最高税率は53.7%になっています。これでも、法人税と同様に、一時期よりはだいぶ下がったようですが、最高税率が40%の日本に比べると依然として高いと言わざるを得ません。しかも、日本の場合、所得控除の制度があって、最高税率が課される年間所得1800万円(約14万ユーロ)の場合でも実質税率は25%程度となりますので、ベルギーの所得税の高さが分かります。尤も、ベルギーの法人税の場合に様々な優遇制度があるように所得税にも減免の制度があるようですので、単純比較は難しいところがありますね。
 

<ラーケン王宮における国王主催のレセプション>

3日前、ブリュッセルの北部にあるラーケン王宮において、アルベール2世国王陛下が主催される外交団レセプションが開催されました。新年のレセプションは市内中心部にあるブリュッセル宮殿で開催されました(「よもやま話」第6回ご参照)が、毎年初夏に開かれるレセプションは国王の居所であるラーケン王宮に場所を変えて執り行われる慣例のようです。ただ、このレセプションでは、ベルギー在勤が1年未満の「新人大使」のみが招待の対象になっているため、招待された大使は50人ほどでした。各大使は夫人と共に予め着任順に整列して控え、式部官から国名が点呼されると国王王妃両陛下の前に進み出て御招待へのお礼を申し上げ、続いて皇太子同妃両殿下にも同じように御挨拶をするのがしきたりです。すべての大使のご挨拶が済むと、中庭のテラスに移りミニ園遊会のような形で式次第が進行します。私は家内と共に、侍従職の方の案内を受けて、国王及び王妃両陛下とそれぞれ個別にお話をする機会を得ました。私から、去る4月末のアストリッド王女殿下の訪日がマラリア撲滅運動への日本国内の関心を喚起する上で大きな成功を収めたこと、そして日本滞在中に天皇皇后両陛下はじめ我が方皇室の方々とお会いになって親交を深められたことは意義深いことであったことなどを申し上げました。今回のレセプションに招待された各大使は国王王妃両陛下と親しくお話する機会を与えられ、感激もひとしおでした。
 

<ラ・ルービエール市へのビジネス・ツアー>

同じ日、ベルギーに駐在する日本企業関係者ら14名でラ・ルービエール市(ブリュッセル南方60km:人口79000人)を訪問しました。この企画は、4ヵ月前に同市の助役も兼務するデストレベーク下院議員から私に提案があったもので、当日は朝早くから市を挙げての大歓迎を受けました。先ず、我々一行は、市庁舎でゴベール市長に挨拶し、市役所や開発公社の関係者からワロン地域(フランス語圏)で5番目に大きな都市であるラ・ルービエール市の経済状況や開発計画について説明を受け、続いて隣接する自治体に進出している「ジェイテクト・トルセン・ヨーロッパ」という日本企業(トヨタ自動車系列)を視察しました。この会社は1985年から自動車の駆動装置(自動変速機)を製造しており、全品をドイツなどに輸出しているようです。製造工程は機械化されており、週7日、毎日3交替24時間というノン・ストップの操業をしているにも関わらず、従業員はわずかに170名(うち日本人3名)というのは驚きです。この視察が終わると地元のTV局などメデイア4社から私への個別のインタビューがあり、日本からの新規投資に対するベルギー側の関心が強いことが感じられました。最後に開発公社の方の案内で開発途上にあるビジネス・パークを視察しました。パークの敷地は広大で既に何社か進出しているのですが、空き地のスペースは未整備のために工場用地のイメージは湧かないのですが、近くを高速道路や運河が走っており、ロジステイックスの便は良いように思われました。今回のビジネス・ツアーには最初から最後までゴベール市長とデストレベーク下院議員が同行され、移動には常に白バイの先導付きという待遇に日本側一同大変恐縮しました。
 

<GGAとレンデルス外相>

ブリュッセルに「大使」の肩書を持つ者が300人いるというお話は前に何度かしましたが、その大使のうち14人で「グループ・ガストロノミック(GGA)」という会を作り、毎月1回持ち回りで昼食会を開催しています。「食文化」に関心があり、フランス語を話す駐ベルギー大使の有志がメンバーで、ベルギー外務省の幹部も時折出席しています。ただ、今月はGGA発足20周年を記念してレンデルス外務大臣自らがエグモント宮で晩餐会を開催してくれました。レンデルス外務大臣は副首相でもあり、自ら所属する政党を代表して内閣に入っているため、外交だけではなく政務全般をカバーする必要があり超多忙な政治家です。大使として任国の外務大臣と面識を得るのは必要不可欠なことですので、今回の晩餐会は私にとっては貴重な機会となりました。ところで、会場となったエグモント宮は16世紀にエグモント伯爵によって建てられた宮殿ですが、その後、紆余曲折を経て50年ほど前に国有財産となり、今は外務省の迎賓館のような機能を果たしています。エグモント伯爵については、「よもやま話」(第19回)でも触れたように、16世紀の後半にスペインからの独立闘争を企図した中心人物であり、ブリュッセルの中央広場で処刑されました。エグモント宮はその中央広場からほど近いプチ・サブロン広場に面して建っており、そこには伯爵の彫像もあります。ベートーベンが「エグモント序曲」を作曲したのは1810年で、正にオーストリアがナポレオン軍によって蹂躙されている時でした。エグモント伯爵は外国の侵略軍に抵抗するシンボル的な存在であり、その伯爵が建てた宮殿が400年以上の歳月を経てベルギー外務省の迎賓館として使用されているのは興味深い事実ですね。
 

<フランキ基金とフーバー大統領>

10日ほど前、ブリュッセル市内の学術会館においてベルギー学術界で最も格式の高い表彰と言われるフランキ賞の授賞式が行われ,私も招待を受けて出席して来ました。今年の受賞者はルーヴァン・カトリック大学(UCL)のデ・シュッテル教授で、長年にわたる人権分野での研究が評価されたようです。フランキ賞の授与は1933年から続いており、文系と理系の研究者が毎年交互に表彰されているようです。この表彰を担っているのはフランキ基金で、現在の理事長はエイスケンス元首相です。受賞者にはフィリップ皇太子殿下自ら賞を授けておりました。

さて、この賞の元となっているエミール・フランキという人は、ベルギー近代史に燦然とかがやく偉人の一人ですが、日本で彼を知る人は多くはありません。日本の時代区分で言えば、明治時代の後半から昭和初期にかけて活躍した人物で、第一次世界大戦時、米国からの支援を得つつ,ドイツに占領された祖国において困窮した自国民の救済と食糧の供給に主導的な役割を果たしたことが知られています。また、大戦後は祖国復興のため「高等教育と科学研究の振興」を目的とする基金(これが「フランキ基金」になります)を設立したり、かつて兵士として関わったアフリカのため熱帯医学研究所をアントワープに設立したりしています。興味深いのはエミール・フランキと米国の第31代大統領ハーバート・フーバーの深いかかわりです。2人は若かりし日の同じ時期に中国に勤務して義和団事件という歴史的出来事に共に遭遇しています。仕事の面では鉄道利権や鉱山開発をめぐって激しいライバル関係にあったようですが、お互いに尊敬の念も深め、これが後に、第一次大戦で苦しむベルギーの救済に立ち上がったフーバー大統領(当時は食糧庁長官)がベルギー国内での活動の全てをフランキに託する因縁となるのです。2人は幼少の折に両親を失い、孤児として育つという生い立ちでも共通しています。人の出会いの不思議さを感じさせるエピソードですね。
 

<モネ劇場のオペラ>

現在、ブリュッセル中心部にあるモネ劇場でモーツアルト作曲の歌劇「コシ・ファン・トウッテ」が長期上演されています。大変な人気で、早めに予約をしないと座席が確保出来ないとまで言われています。私は、先月下旬、幸運なことにオーケストラ団員の方からゲネプロ(総練習)への招待を受け、正式上演の始まる前日に観劇することが出来ました。「コシ・ファン・トウッテ」は若い男女の恋愛心理をコミカルなタッチで演じた歌劇ですが、今回の演出は現代風にアレンジし直しており、これはこれで十分楽しめました。モネ劇場のオーケストラには日本人の女性ヴァイオリニスト3名が団員になっており、大いに活躍してくれているようです。実は、私がモネ劇場に関心を持った理由の一つにベルギーの歴史との関係があります。1830年、ベルギーはオランダの支配から独立したのですが、その発端となった事件がこのモネ劇場で起こっているのです。オーベル作曲の歌劇を観劇していたベルギー人が物語の不条理に怒りを爆発させて暴れ出し、これが国をあげての暴動に発展し、独立軍となっていくのです。勿論、現在のモネ劇場は当時の建物ではありません。1855年の火災の後に再建され、1986年にも大掛かりな改修が行われています。私はモーツアルトのオペラを観劇しながら、180年近く前のベルギー独立の出来事のことを想起しておりました。

 

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