大使のよもやま話
第1回 片肺飛行の「若葉マーク大使」
先月19日にブリュッセルに着任しましたので既に3週間が過ぎたことになります。アルベール2世国王への信任状の捧呈は未だ行われておらず、従ってベルギー政府から(公式には)「日本大使」として認められておりませんので、今は「若葉マークの大使」のまま片肺飛行している感じです。私生活の方も車がないこともあって行動半径が大きく制約されており、何となく落ち着きません。気候的に曇天の日が多く、日照時間も短いので、やや気鬱にもなります。気温も日本に比べればだいぶ寒いですね。ただ、住居の近くに広大なカンブル公園があるので、週末の散歩はとても楽しみです。湖のまわりを家族連れで散策したりジョギングしているカップルなどを見ていると、ヨーロッパに来ていることを実感します。日に日に東京の光景が遠くなっています。
<イープルの町を訪ねて>
先日、ある偶然から、第一次世界大戦における最大の激戦地であったイープル市を訪れました。西フランドル州にある人口3万人ばかりのこの町は今訪れると牛が草を食む風景が延々と続く「のどかな田舎町」で、とてもここで英仏ベルギーなどの連合軍とドイツ軍が4年間に亘って死闘を繰り返し、双方合わせて30万人の死者を出した土地とは全く想像出来ません。ただ、良く目を凝らすと、町の周辺に配置された道路標識に墓地の所在を示す案内板が異様に多いことに気付きます。大半が英連邦軍人の墓のようで、ドイツ軍が使用した窒息性毒ガスの犠牲になった人も少なくないとのことです。イープルの町も戦争中に完全に破壊されたのですが、戦後に再建されて、今では中央広場にあるサン・マルタン大聖堂(創建は13世紀)などが往時の姿を偲ばせてくれます。
実は、この町を世界的に(?)有名にさせているもう1つの出来事があります。それは毎年5月に行われる「ネコ祭り」で、何と10世紀から続いているという伝統行事なのです。3年に1度はネコ・パレードが町を練り歩き、多くの観光客でにぎわうようです。昔は生きたままのネコを教会の鐘楼から投げ落としたとのことですが、今そんなことをすれば動物愛護協会から抗議を受けること必至ですので、もちろんネコの縫ぐるみが使われています。イープルの町は13世紀半ばに全盛期を迎えた後は隣のブリュージュの町にその地位を奪われ衰退の一途を辿ります。しばしば内戦の舞台にもなっています。いじわるな筋からは「ネコの祟り」などと陰口がたたかれているようですが、勿論そんなことはないでしょう。<西フランドルにオープンした日本タバコ工場>
前項の冒頭で「ある偶然から」イープルという町を訪ねたと書きましたが、その偶然とは、同じ西フランドル州にあるウェルヴィックという更に小さな町で日本タバコ(JT)の工場のオープニング式典が開催され、これに主賓の一人として招かれたことが切っ掛けだったのです。この工場はもともとベルギーのタバコ製造会社であるグリソン社の工場だったのですが、今年の8月に日本タバコ(JT)が買収し、新たにJTインターナショナル社の工場として操業を開始したのです。ベルギーには265社に上る日本企業が進出しているのですが、日本タバコ・グループによる今回のグリソン社の買収はこれら日本企業による当国での海外投資事案としては近年における最大規模のものです。
この工場で製造するタバコは、通常の紙巻タバコ(RMC)ではなく、刻んだタバコの葉を喫煙者自らが専用の紙で巻き上げて吸う「手巻きタバコ」(MYO、RYO)と呼ばれるものです。グリソン社は元々この「手巻きタバコ」(特にRYO)の製造を専門にしており、昨年の年間製造量は3900トン(紙巻タバコ換算で52億本)だそうです。従って、紙巻タバコ(及びMYO)を主に製造して来た日本タバコ(JT)にとって今回の買収は、双方のタバコ市場でバランス良くシェアを広げる大きなチャンスを得たことになります。
私は知らなかったのですが、日本タバコ(JT)は(詳細が不明な中国を除けば)米国、英国のタバコ会社に次ぐ世界で3番目に大きなタバコ会社だそうです。グループ全体としては世界に22の工場を有し、48000人を雇用しており、その製品もタバコだけではなく、缶コーヒーからインスタント食品、更には医薬品にまで多岐に及んでいるとのことでした。式典にかけつけたJTインターナショナル社のトーマス・A・マッコイCOOは、現在従業員155人のグリソン工場を将来は更に大きく発展させたいと挨拶されました。<ベルギーの若者とジャパン・エクスポ>
今月の2日から4日までの3日間、ブリュッセル市内の巨大な展示会場を舞台に「ジャパン・エクスポ」という文化イベントが開催されました。イベント内容はアニメ・マンガとコスプレを中心にしたものですが、柔道や落語のデモから和太鼓演奏そして(我が大使館も参加した)日本語ワークショップまで日本文化に関するものなら何でもありの世界です。主催者はSEFAベネルックスという民間会社で、その姉妹会社が開催しているパリの「ジャパン・エクスポ」は十数万人の来場者を集める一大イベントとして世界的に知られています。
今回のブリュッセルにおけるエクスポの目玉は著名な漫画家である藤沢とおる氏による講演とアイドル・タレントである吉川友さんの歌謡ショーだったのですが、会場に足を運ぶと奇妙奇天烈なコスプレ(有名マンガのキャラクターの仮装)をした20歳前後の若者の群れに圧倒されます。私はかつてベトナムに大使として在勤した折も大使館と地元団体の共催でコスプレ・イベントを開催したことがあるのですが、マニアックな雰囲気は全く同じです。ブリュッセルの会場内を案内してくれた主催会社の方の説明によると日本のコスプレ・イベントは若者たちが醸し出す雰囲気がやや暗いが、海外イベントの場合はもっと陽気であるとのことでした。
最後に、今回のイベントの開催責任者であるパスカル・ギファン氏(若いフランス人)にお会いして、同氏がこうしたイベントを開催するに至った個人的背景を伺うと「子供のころにテレビで見た日本のアニメに嵌ったから」という説明でした。日本在住の経歴はないのですが旅行ではしばしば行っているようです。別れ際に、「今回の来場者数は3日間で3万人を見込んでいるが、来年の第3回エクスポではもっと集めたい」と意気軒高なところを見せてくれました。今回のイベントのメデイア・カバレッジはものすごく、日本のポップ・カルチャーが持つソフト・パワーの威力を十分に見せてくれた3日間でした。