第20回 ブリュッセルは外国人の街?
2013年6月11日
「ブリュッセル住民の75%は外国人」と言ったら皆さん驚くでしょうが、先日、地元紙が報じた通りなら、これは事実なのです。現在、国際都市ブリュッセル(首都圏)の人口は110万人ですが、このうち、ベルギー国籍を取得した移住者や両親が外国人の子供を含めた広い意味での「外国人」の数は84万人に上るのだそうです。更に、ブリュッセル首都圏を構成する19地区(コミューン)のうち、外国人比率が90%を超える地区が4つあり、ほぼ市内中心部に集中しています。市の南東外れに位置し、最も外国人比率が低い地区でも36%に上ります。この「外国人」を国籍別に見ると、モロッコ人が191300人で最も多く、2番目以下はフランス人の98300人、イタリア人の75300人、トルコ人の53800人となっています。また、この地元紙には地区別のイスラム教徒人口の比率も記載されており、それによると、首都圏の平均で23%ですが、市の中心部に近いサンホセ地区では住民の47%がイスラム教徒(その半数以上がトルコ人)という驚くべき数値になっています。首都圏の南部、日本大使公邸があるイクセル地区の場合は、外国人比率が90%に上りますが、イスラム教徒の比率は15%とかなり低く、他方フランス人の比率が20%と19地区の中で最も高くなっています。同じく南部のユックル地区の場合はイスラム教徒の比率が6%、フランス人が18%で、最近話題になっている「フランス人がブリュッセル南部に流入している」との噂が相当真実に近いことを裏付けています。ブリュッセルに外国人が多いのは「大使が300人いる」と言われる外交使節の存在が主因ではないようです。
<イクセル地区のベテラン区長>
先月末、日本大使公邸があるブリュッセル・イクセル地区のデクールティ区長に遅ればせの着任挨拶をしました。イクセル地区は人口が84000人で、ブリュッセル首都圏を構成する19の地区の中では3番目に人口の多いところです。この地区の興味深いところは「3つの異なる顔」を持っていることで、北半分には商店街と庶民的な居住区が混在し、南に下ると日本大使公邸もある高級住宅街、そしてブリュッセル自由大学(ULB)を中心とした学生街に分かれています。先述の通り、この地区には外国人が多く住んでおり、市内中心部に近い北側(特にカルチエ・マトンゲと呼ばれる一画)にベルギー旧植民地であるコンゴ民主共和国からの移民やアフリカからの留学生が、また、南の方には外交官とフランスからの移住者が居住しています。こうした事情から、毎年、地区住民の10%が転入・転出をしているようで、不動産価格の上昇も顕著です。区長によれば北側の一部に麻薬取引が行われている裏通りなどがあるものの深刻な犯罪の発生は多くないとのことでした。イクセル地区の住民税は7.5%で、ブリュッセルの19地区の中では高い方ですが、2001年から既に12年以上に亘って区政を預かっている区長にとっても財政のやりくりは決して楽ではないようです。懇談の終わりにイクセル地区にかつて住んでいた著名人のことが話題となり、区長の口からカール・マルクスやレーニンの名前が出て来ました。さすが社会党所属の政治家ですね・・。
<ワロン地域(フランス語圏)にある2つの大学>
先月、ブリュッセルの南東65kmほどのところにあるナミュール大学を訪問し、イヴ・プーレ学長らと1時間ほど懇談しました。この大学は1831年にイエズス会系のミッション・スクールとして創立され、今でも宗教学や哲学の分野においてイエズス会の教育理念が生きているようです。学生数は6学部に6218人が在籍しており、このうち外国人留学生は597人。その大半がEU諸国からの学生で、日本人学生は一人もいないとのことでした。この大学の特徴はバイオやナノ・テクノロジー、IT分野に強いことで、学内外の研究者653人によって68の研究チームが作られており、学際的な研究を中心に632のプロジェクトが進められているようです。私からは、アジアとの結びつき強化の一環として、日本企業との研究協力や日本大使館を通じた文化活動の実施への期待を表明しました。
続いて、ルーヴァン・カトリック大学(UCL)を訪ね、デルヴォー学長らと懇談すると共に、キャンパスを案内いただきました。1966~67年の大学紛争でオランダ語教育とフランス語教育が対立し、2つの大学に分かれた経緯はこの「よもやま話」(第3回)でご紹介しましたが、UCLはルーヴァン・ラ・ヌーブ市に新たに建設されたフランス語の方の大学です。建設当時は4軒の農家があるのみの広大な丘陵地帯だったようですが、40年を経た今日、14の学部に28600人の学生を擁する大きな大学に発展しています。科学研究に特に力を入れており、産学共同研究も盛んだそうで、3つのサイエンス・パ-クのうち最も大きなものは231ヘクタールの面積を誇るとの説明に驚きました。日本の多くの大学とも理系を中心とした学術交流が進んでいます。UCLには日本学科はないのですが、日本人の先生の指導の下で日本語を学習する学生が約60人(学部2年生40人、3年生20人)いるとのことでした。外国人の学生は約5千人で、このうちアジアからは329人の学生が在籍しているとのことです。日本人の一般学生は10人前後、交換留学生を加えても20人を超えることはないようですが、福岡大学でフランス語を学ぶ学生が毎年30人ほど夏期講習のために短期間(3週間)来訪するようです。兎に角、羨ましいほど広大なキャンパスで、こうした大学で勉学に勤しむことが出来る学生は本当に幸せですね。
<IMECという巨大研究組織>
1週間前、ブリュッセルの東30kmにあるルーヴァン市に赴き、国際的な巨大研究組織として知られるIMEC(アイメック)を訪問しました。この研究組織は1984年にフランドル地域政府によって独立のNPO法人として設立され、当初こそルーヴァン・カトリック大学(KUL)に付属するような小さな組織でしたが、今日では2051人の研究員を擁する国際的な一大研究機関に発展しました。研究領域はヘルス・ケアから新エネルギー、通信分野まで多岐に亘ります。外国の研究者は74ヵ国から950人以上が集まっており、研究協力関係を結んでいるパートナーは企業600社、200大学にのぼるそうです。民間企業との研究協力費を中心とした年間の総収益(2012年)は320百万ユーロ(約400億円)とのことでした。日本との関係では、民間企業から派遣されている研究者を中心に現在64人がIMECに所属しており、この数は外国人としては5番目に多いそうです。東京にはIMECの連絡事務所があり、毎年11月に都内のホテルで350人以上を集めるセミナーが開催されています。ケールスメッカー上級副社長らによれば、IMECの最大の魅力は国際的な研究チームの一員として最新の研究設備を利用出来ることであり、契約企業は研究成果をそのまま自社製品に応用することで研究開発費を大幅に節約出来ることであるとのことでした。将来は「日本IMEC」を設立したいとの希望も語ってくれました。小国ベルギーならではのニッチなビジネス戦略かも知れませんね。
<ベルギーの日本人会>
 ベルギーには、他の国々の場合と同じく、在留邦人団体として「日本人会」というものがあります。発足は33年前。現在の正会員数は170社(このほかに個人会員が103人)で、1997年のピーク時(253社)に比べると3割以上の減少になっています。先日、その総会が開催され、私は、名誉会長として出席し、会員の皆様に御挨拶しました。その中で、私は、年初の新年会で宣言した「今年は愚痴をこぼすのを止めよう」との誓いに加え、「他者と比較するのを止めて、自分の信ずる道を邁進する」ことを目標にしたいと申し上げました。正に自戒の念ですね。さて、日本人会には最高意思決定機関としての理事会のほか、商工、文化、会報などをそれぞれ担当する委員会が設けられています。商工委員会は業界別に8つの部会を設け、日本企業の活動を支援するためにビジネス・セミナーを折々に開催して、ベルギーの税制や労働法をめぐる最新の動向などを学習したり、最近では、日・EU経済連携協定の早期交渉開始に向けた要望書をベルギー・EU双方の当局者に提出するなどの時宜に叶った活動も行っています。一方、文化の面では、会員間の親睦を図るためにテニスやゴルフの大会を開催するほか、いかにもベルギーらしく美術や音楽の部活動も展開しています。日本人学校の運営も日本人会の重要な仕事です。他方、日本人会のかかえる悩みは正会員(法人)の脱会による会費収入の減少で、これは欧州各国の日本人会に共通して見られる近年の傾向ですね。私の前任地であったベトナムでは会員企業数が毎年増加するという逆の現象が生じておりました。日本企業の欧州離れ、アジア・シフトの動きを反映するもののように思われます。また、会員企業に留まってはいるものの、駐在員の数を減らしている企業も少なくなく、日本人会イベントへの参加者が少なくなるという状況も生じているようです。こうした日本人会の状況は欧州の経済事情や日欧関係の趨勢を映す鏡でもありますね。
<ゲントのマラソン・マン>
先週、ゲント市(ブリュッセルの西60km)で面白いマラソン・イベントが開催されました。主催者はギネス・ブックに連続マラソン完走の世界記録保持者として名を刻むシュテファン・エンゲルスさん。3年前、フルマラソンを365日間連続で完走したという「マラソン・マン」です。それまでのギネス記録保持者は52日間連続で完走した日本人の楠田昭徳さんで、同じくゲント市のイベントに招待されておりました。現在、エンゲルスさんが挑戦しているのは完走者を毎日交代して365日間走り続けようという新しい企画で、今年の元日から始めており、既に160日目を過ぎています。エンゲルスさんは52歳、楠田さんにいたっては何と70歳で、先の日曜日には2人一緒にウオーター・スポーツ・バーンと呼ばれる1周約5kmの市内コースを8周したようです。私はマラソン競技を観戦するのは大好きなのですが自ら走るのは苦手です。それだけに、フルマラソンを走る人は誰であれ私にとっては尊敬の対象なのですが、365日間も連続完走するというのは全く信じられないことです。
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