第22回 自衛隊記念日を祝う
2013年7月1日
前々回の「よもやま話」でブリュッセル住民の75%が(最も広い意味での)外国人であるという当地紙報道を紹介しましたが、最近「ベルギーで非ヨーロッパ人の移住者が減少」という別の面白い記事が出ておりましたので、今回はこちらの記事を紹介します。「機会均等センター(CEC)」が先日発表した年次移民報告によると、現在、ベルギーに居住する外国人(外国籍の保持者)は117万人(国民人口の10.6%)で、このほかに「ベルギー国籍を取得した外国生まれの者」が88万人いるそうです。これらの合計205万人を広い意味で「外国人」とした場合、その出身国の内訳は、イタリア、フランス、オランダなどのEU諸国が106万人、モロッコ、トルコ、コンゴなど「それ以外の国」が99万人となっています。興味深いのは、EU諸国からの「外国人」の多くが出身国の国籍を保持したままなのに対して、「それ以外の国」の場合は60%以上の者がベルギー国籍を取得していることです。ただ、2011年に限ってみると、新たにベルギーに移住した者13.8万人のうち非ヨーロッパ人の割合は35%にとどまり、明らかな減少傾向にあるようです。これを2000年の場合と比較すると、移住者の総数は3倍近いのですが、政治的な理由でベルギー国籍を取得しようとする者(亡命申請者)は全体の75%から12%に激減し,一端ベルギーに入国したもののその後出身国に戻る者が増加しているとのことです。この背景には、ベルギー当局による亡命申請の受付要件が厳しくなっていることがあるようですが、中東情勢など国際政治状況の変化やEU域内での貧富の格差拡大や失業問題などの影響もあるように思います。極東の島国に住む日本人には想像も出来ない「人の移動」がベルギーなどヨーロッパの国では起こっているようです。
<大使公邸で開いた自衛隊記念日レセプション>
先週火曜日の夕刻、大使公邸で恒例の自衛隊記念日レセプションを開催しました。真冬に開催する天皇誕生日レセプション(「よもやま話」第3回ご参照)と異なり、そもそも招待客の範囲が限定されている上に、気候的に庭先も会場として使えることから公邸で開催しても手狭な感じはありませんでした。主な参加者は外交団(各国大使、武官など)の他に、ベルギーの政府・議会や軍・警察の関係者、NATO関係者などで、今回の参加者総数は例年並みの160名ほどでした。ところで、我が国の自衛隊が発足したのは1954年の7月で、59年前のことです。憲法第9条で「戦力の不保持」が定められているため、自衛隊は「自衛のための必要最小限の実力」と理解されていますが、実際の自衛官数(現員)は陸海空の3自衛隊の合計で22.5万人ほどになります。予算で見ると、今年度の防衛関係費は約4兆6800億円で、世界各国の軍事費との比較では7,8番目くらいの規模になります。ただ、GDP比率で見ると0.9%ほどで、米国の4.3%は別格として、2%前後のヨーロッパ諸国と比べても非常に少ない額と言えます。自衛隊は国土の防衛(国民の生命と財産を守ること)という主たる任務に加え、災害出動や国連PKO活動への参加などの従たる任務も負っています。東日本大震災後に実施された世論調査によれば国民の90%以上が自衛隊に良い印象を持っているとのことであり、近年の不安定な東アジア情勢の中で、日本国民の自衛隊に対する関心はますます大きくなっているように思います。
<コルトレイク市にある2つのベルギー企業>
同じく先週、コルトレイク市(ブリュッセルの西90km:人口74900人)を訪れ、同地のベルギー2大企業を訪問しました。最初はファン・ド・ウィーレ社で、ボードワン社長とは2ヵ月振りの再会となります(「よもやま話」第16回ご参照)。同社は1880年に操業を開始し、現在は2500人の従業員を擁して、各種の紡織機を製造しています。年間の売上は450百万ユーロ(約580億円)ほどですが、カーペット織機の分野では世界第1位のシェア(約70%)を誇っているようです。日本の繊維業界との関係も深く、研究開発分野で東レや帝人と30年来の協力関係にある他、今治市のタオル製造会社にも紡織機を販売しているとのことです。また、こうした機械を製造する設備はほとんどが日本のヤマザキ・マザック製です。ボードワン社長は工場を案内しながら、かって文部科学省の国費留学生として慶応大学で2年間勉強したことなどの昔話もしてくれました。
次に訪問したのが、映像化ソルーションの分野で世界をリードするバルコ社です。ヴァン・ジール社長や10年近い日本駐在経験があるというベルトラン上級副社長らが出迎えてくれました。同社が製造しているのは空港の管制塔や警察の交通管制センター、あるいは野外イベントなどで使用される超大型デイスプレイが中心ですが、デジタル・マンモグラフィー専用デイスプレイなどの医療画像機器の分野でもシェアを伸ばしているようです。LED技術は日本の日亜化学工業から導入しており、教育機器の内田洋行や光学機器メーカーのエルモ社との取引もあるとのことです。興味深かったのは映画館などで使用される大型プロジェクターや3Dサウンドの音響設備で、世界シェアが50%近くに及ぶという説明でした。同社のデジタル音響設備は世界の映画館4万館で既に導入されており、バルコ・サウンドと呼ばれる最新の3D音響システムも200館で導入されているとのことです。バルコ社は1934年に家具の製造会社として生まれ、その後、米国のラジオ会社向けに木製の箱ものを作り出した頃から電機分野に参入し、TVの製造も手掛けたそうですが国際競争に勝てず、現在のような最新デジタル・デイスプレイ機器の分野に活路を見出したのだそうです。昨年の売上額は11.5億ユーロ(約1400億円)、従業員数はコルトレイク市近くのクールネ工場だけで1800人に及び、中国に大きな工場を有し、東京の平和島にも販売店があるようです。ニッチな世界でのビジネスもここまで来ると誠に立派なものですね。
<ヨーロッパ研究所の日本人学生>
ブリュッセル・イクセル地区にある日本大使公邸の直ぐ近くに「ヨーロッパ研究所(IEE)」という表札の付いた建物があり、一度訪ねてみたいと思っていたところ、先般、ブリュッセル自由大学(ULB)の関係者と懇談した際に、この研究所の副所長を務めるマリオ・テロ氏からこの施設がULB所属の教育機関として1963年に創設されたことなどを教えていただきました。そこで、早速、同氏からの招待という形で、先日、その研究所を訪問しました。現在の学生数は約300名で、内訳は修士課程250名、博士課程50名ほどとのことです。学生の国籍はまちまちで、ベルギー人は全体の20%前後にとどまり、日本人の学生も3人いるようです。私が訪問した日に面談した10人ほどの博士課程の学生の中に早稲田大学から留学している2人の男子学生も混じっておりました。研究所の悩みは「学費が安すぎるために教育内容もいい加減なのではないかと(同研究所を知らない外国の学生から)疑われること」だそうです(笑)。因みに、博士課程に対するEUからの研究奨学金の場合は月々2800ユーロ(約36万円)という中堅サラリーマン並みの金額が給付されるそうで、毎年10人の枠に世界各国から200人以上の応募があるようです。誠に「狭き門」で、相当に優秀な学生でないと選抜されず、これによってもIEEの教育研究レベルの高さが窺えます。IEEと日本との関係は20年ほど前に遡り、早稲田大学のほか一橋大学、上智大学、国際キリスト教大学などと協力関係を確立しているとのことでした。こうした関係は更に発展して欲しいですね。
<ISBと気仙沼高校>
現在、ブリュッセルのインターナショナル・スクール(ISB)の高校生16人(及び引率の先生3人)が「国際架け橋」事業によって宮城県の気仙沼市を訪問中です。一行は、気仙沼市に1週間滞在して気仙沼高校の生徒たちと再会した後、東京、名古屋、広島、京都に移って高校生と交流しつつ名所旧跡などの合同見学を予定にしているようです。そして3週間近くに亘る日本滞在の最終日に京都で再び気仙沼高校の生徒と合流してお別れ会を開くのだそうです。私も参加したいほどの豪華プログラムなのですが、何故こうした事業が行われているのかというと、東日本大震災の被災者支援の一環として、1年前にベルギー人有志によって「国際架け橋」事業が始められ、気仙沼高校など宮城県の5校の高校生32名をベルギーに招待したことが契機になっています。先日、この事業の発起人の一人であるナイケルク夫人(お子さん2人をISBに通わせているオランダ人)と大使館でお会いして事業の詳細を伺ったのですが、被災者支援と国際交流を一体的に実施しようという熱意に感激しました。また、こうした活動を実施するためには多額の資金と多くの人の協力が必要であり、その組織力の素晴らしさにも感心します。ボランテイア事業もこのレベルになると本当に大きな力を感じさせますね・・・。
<サンマルコ教会に響く日ベルギー合同合唱>
先月上旬の日曜日、ブリュッセル南部ユックル地区にあるサンマルコ教会で日本とベルギーのアマチュア・コーラス・グループによる合同合唱コンサートが開催され、私も来賓として招待を受け会場に足を運びました。ベルギー側のコーラスはユックル地区の愛好者グループであり、日本側は東京から来た「おとずれ」というグループです。それぞれ、日本の歌を中心に混声のコーラスを披露し、和気あいあいとしたコンサートになりました。このサンマルコ教会は地元の小教区教会で、モダンな造りになっており、一見して教会とは分からないような外見をしています。敬虔なカトリックの国と言われたベルギーでも過去20~30年の間に若者らの信仰心が薄れ、日曜ごとに教会のミサに足を運ぶ信者の数が激減しているようです。このため、教会の建物を維持管理する経費の捻出にも苦労し、音楽会や展覧会の会場として貸出し、そのレンタル料収入に依存するケースも少なくないと言われています。あるベルギー人は私に「週末はデイスコになっている教会もある」と苦笑交じりに話してくれました。今回の合同合唱コンサートの舞台の真上には十字架に磔刑されたイエス・キリスト像が吊るされており、そうした場所で日本の歌を聴くのは多少妙な感じがしたのですが、当のイエス・キリストにとっては2時間半に亘って美しい歌声を聴き、日ベルギー両国のコーラス愛好者が交歓する様子を眼下に眺めることが出来たのは良いことだったかも知れませんね。
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