第38回 2度目の天皇誕生日レセプション
2013年12月11日
昨年、ベルギーの就労ビザ(Bタイプ)を取得したインド人は過去最高の3110人に上り、その大半がIT業界で働く高度技術者のようです。最近の当地紙が報じたところによると、このタイプの就労ビザはEU域外の国でベルギーと労働協定を締結している国の出身者、しかもベルギー人の就職者が見つけられない職種の該当者に対して発給されるものですが、例外として、大学以上の卒業資格を有し、年収が38665ユーロ(約500万円)以上の職に就職する場合にも認められているとのことです。そして、この高度技術者向けのビザを取得する者の40%近くがインド人なのだそうです。興味深いのはこうしたインド人の就職先をベルギー国内の地域別に見ると最も多いのが北部のフランドル地域(オランダ語圏)、次にブリュッセル首都圏で、南部のワロン地域(フランス語圏)にはほとんど就職していません。ワロン地域にはそもそもIT企業が少なく、存在していても規模が小さいことと、フランス語を話すことが求められる(フランドル地域なら英語で仕事が出来る)という事情がありそうです。インド人にとってベルギーでの所得レベルは同じ仕事をインド国内でした場合の3倍以上になり、多くの者が給料の半分以上を本国の家族などに送金しているとのことです。現在のベルギーではIT技術者の需要が高く、未だ1万以上のポストが求職の対象になっているようですから今後更にインド人がこの業界に進出してくるものと思われます。ところで、日本における事情はどうかというと、最近の法務省統計によれば、日本に在住するインド人の数(2011年)は21500人(因みに日本在住のベルギー人は689人)で、このうち在留資格が「技能・技術」の者が7760人、その家族を含めると日本在住インド人の半数近くがIT分野などで働く高度技術関係者なのではないかと推測されます。
<趣向を凝らした2回目の天皇誕生日レセプション>
昨年の12月、ベルギーに着任して間もない頃に大使公邸で最初の天皇誕生日レセプションを開催し、余りの混雑振りに大変困惑しました(「よもやま話」第3回ご参照)。そこで、今年は、在留邦人の方々は1月の新年会(賀詞交換会)の方にまとめてご招待することとし、天皇誕生日レセプションの招待範囲をベルギーの方々と外交団などに(勝手ながら)限定させてもらいました。結果として、昨10日に開催したレセプションへの参加者総数は若干減少し、大使公邸のスペースに何とか収まる人数になりました。例年、このレセプションにご参加いただいていた在留邦人の方々には申し訳ないことになりましたが、事情を御賢察いただき、来月9日に開催予定の新年会の方に是非ご出席いただきたいと思います。
 さて、今年の天皇誕生日の新たな趣向として、ベルギーの都市と姉妹関係を有している日本の地方都市を紹介するコーナーを設けました。金沢市、姫路市、小松市、長久手市及び結城市の5市が我が大使館からの呼びかけに応じてくれて地元のポスター・パンフレットや産品などを展示してくれました。また、もう一つの趣向として例年の日本酒紹介コーナーに加え、今年は日本産ワインを試飲いただくコーナーも設けました。甲州産などの赤ワイン4種、白ワイン4種及びロゼ1種を来客の方々に試飲いただいたのですが、大変好評だったようです。
 最後に、日本とベルギーの友好関係の発展に寄与され、今秋、岸田外務大臣から表彰されていたバイオリニスト・堀米ゆず子さんへの表彰状の授与式もこのレセプションの機会に行いました。会場から熱烈な拍手が沸き起こり、堀米さん自身も日・ベルギー関係発展に向けた更なる決意を表明する受賞スピーチをされました。また、私からは、在外公館長表彰として、BJA(日白協会兼商工会議所)のヴァン=オーバーストラーテン副理事長、ルーヴァン・カトリック大学(KUL)のディミトリ教授及びリエージュ大学のテレ教授の3人に感謝状と記念の盾を授与し、それぞれの受賞者からもスピーチをいただきました。
なお、今回のレセプションの冒頭、たまたま日本からベルギーを訪問中という三味線奏者の方お二人に演奏いただき、早めに来場された賓客の皆様に日本の音楽を楽しんでいただきました。さて、来年の天皇誕生日レセプションではどのような趣向を凝らすか、これから1年間、熟考の日々をおくることになりそうです。尤も、その時まで私のベルギー在勤が続いているかどうかの方が問題なのですが・・・。
<ベルギーを訪問した日本経済界の要人>
先週、日本郵船(NYK)の草刈隆郎相談役を大使公邸にお迎えし、最近の日・ベルギー関係や世界の海運事情などについて懇談しました。ご存じのように、草刈相談役は1999年から5年近くに亘り日本郵船の社長を務め、その後も2009年まで会長職にあった方です。そして、同社の会長を辞された後に、日本・ベルギー協会の会長に就任いただいており、一昨年からは隣国オランダやルクセンブルクを含めたベネルックス3国との経済関係強化についても市場協議会の会長として尽力いただいています。ベルギーとオランダにはそれぞれアントワープ港、ロッテルダム港という欧州の2大港湾ハブがありますので、海運会社にとっては御縁の深い国ですね。日本郵船は1870年まで遡る長い社歴を有し、今や世界有数の巨大な海運会社になっています。この日の懇談でも世界的なエネルギー事情の変遷が海運業のありように大きな影響を及ぼしてきた経緯から海賊対策や北極海航路の問題に至るまで多岐に亘る話題をめぐって貴重なお話を伺うことが出来ました。
そして今週は、NECの佐々木名誉顧問を大使館にお迎えしました。佐々木顧問は1999年から10年間に亘りNEC会長の職にあり、この間、経団連ヨーロッパ地域委員会の共同委員長をお務めになりました。日本の産業界では通信機械工業会や電子情報技術産業協会の会長も歴任しておられます。今回は会議出席のためパリにお出でになった機会にブリュッセルまで足を延ばしてくれました。NECはベルギーに工場も営業網もないのですが、EUのIT規制の動きなどをフォローするための事務所を開設しています。私からは日・EU間で国際的なルール・メイキングのための協力を推進することの重要性についてお話をさせていただきました。
<ベルギーの魅力的なニッチ産業>
先月の末、リエージュ市郊外にあるサイエンス・パークを訪れ、ベルギー企業2社からニッチな事業展開の話を伺い興味を惹かれました。最初に面談の機会を得たのはミクロン単位の微小製品のデザインと包装を専業とする「タイプロ」という会社で、リエージュ大学からのスピンオフ企業です。大学の研究から事業化へと進んだのは昨年のことで、自動制御の製造装置を導入したのも今年に入ってからとのことです。従業員は今のところ若いサン=マル社長を含めて6人ですが、来年には量産体制に入るために10人以上に増やしたいと意欲的です。既にフランスやイタリアなど近隣ヨーロッパ諸国との取引関係もあるとのことで、将来が楽しみですね。
次に、テレビのスポーツ中継用画像編集ソフトとその画像を蓄積するビデオ・サーバーを開発している「EVS」という中堅企業の本社を訪問しました。創業19年にして世界16ヵ国に21の事務所を持ち、既にスポーツ中継用ビデオ・サーバーの分野では世界有数の企業に成長しているようです。夏冬のオリンピックからサッカーのワールドカップまで世界大会レベルのスポーツ競技のテレビ中継ではEVS社のサーバーが多く使用されているとのことでした。ワールドカップのサッカー競技の場合、1つの競技場に設営されるテレビ・カメラは30台以上になり、この映像を競技場脇に駐車している大型トラック内に配置された20台近いモニター・スクリーンに転送し、テレビ放送用の1つの画像に編集していくのですが、その際にリプレイからスローモーション画像まで自在に編集するソフトと画像を収めるサーバーがEVS社が開発した装置なのです。現在の従業員数は482人で、昨年1年間の売上げは138百万ユーロ(約190億円)だそうですから誠に立派なものです。日本との関係ではNHKの他に複数の民放テレビ局とサービス契約を結んでいるようです。ドゥルトルモン副社長によれば、サーバーの信頼性と編集装置の使い勝手の良さが同社製品の「売り」とのことでした。
<ドイツ語共同体の祝日>
先月、ブリュッセル市内でドイツ語共同体による祝賀イベントが開催され、外交団の一員として出席しました。ベルギー東部には国民人口の1%にも満たない小さなドイツ語圏地域があり、毎年、11月15日の「国王の日」に合わせて祝賀行事を開催しているようです。この地域は第一次世界大戦の後にドイツからベルギーに割譲されたのですが、百年近い歳月を経て、今ではすっかりベルギー国民としての地歩を固めているようです。祝賀行事はドイツ語共同体議会のミーセン議長とランベルツ首相の共催で開催されたのですが、両人の挨拶はドイツ語とフランス語を交えて行われました。私はかつてドイツ語圏地域にあるサンクト・ヴィト市(ブリュッセルの東方180km、人口9300人)の近郊をドライブしたことがあるのですが、道路標示や店の看板は当然ながらドイツ語であり、立ち寄ったレストランのメニューも店員の会話も全てドイツ語なので、さながらドイツに観光に来ているような錯覚を覚えました。この地域の大半が田園と丘陵地帯で、町並みの美しさは大変印象的でした。たまたま訪れた教会もルター派の教会で、少数派として生きる人々の生活の難しさも偲ばれました。ベルギーという国は小国とは言え、その内情はとにかく複雑ですね・・・。
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