第39回 ノーベル賞とオリンピックの金メダル
2013年12月23日
 明日はクリスマス・イブ、年の瀬もだいぶ迫ってきた感じですね。 ベルギーはカトリック信者の多い国なので、クリスマス・シーズンはさぞ盛り上がるだろうと期待していたのですが、今のところ、それほどでもありません。街中の商店街にはクリスマスらしい飾り付けは見られますが、パリのような派手さはありません。先日の夜、ブリュッセルの中心にあるグラン・プラスに出向いてみたところ、中央にイルミネーションが付いたクリスマス・ツリーが飾られていましたが、意外と小ぶりでした。昨年は明かりを内蔵した1㎥くらいのガラス箱をたくさん積み上げた現代アート的なクリスマス・ツリーが置かれていたのですが、地元の人々には不評だったようで、今年は再び「モミの木」を使った古典的なクリスマス・ツリーに戻っています。このグラン・プラスの一角にイエス・キリスト生誕の場面を再現した実物大の家畜小屋が作られており、この周りには観光客が集まっています。人物は勿論人形ですが、本物の羊が数匹囲われていて、寒そうにしておりました。昨今の世相を反映してか、クリスマスの祝い方まで不景気になっているような気がします。来年のクリスマスはもう少し盛り上がって欲しいですね。
<ノーベル物理学賞を受賞したベルギー人>
先週、ブリュッセル市庁舎において、今年のノーベル物理学賞を受賞したフランソワ・アングレール博士の受賞記念パーティが開催され、招待を受けて出席しました。既に80歳を過ぎておられますが大変お元気そうにお見受けしました。アングレール博士の受賞理由は物質に質量を与える「ヒッグス粒子」の存在を予言したことで、実際、この半世紀前の予言は、昨年7月に、欧州合同原子核研究所(CERN )の大型加速器を使った実験でその存在が確かめられました。「ヒッグス粒子」の存在予言については、2008年にノーベル物理学賞を受賞した日系米国人の南部洋一郎博士(元シカゴ大学教授)の理論が基礎になっていると言われ、CERNでの実験でも日本の技術が役に立ったようですので、日本としてもアングレール博士の受賞を共に祝いたいと思います。
ところで、ベルギー人のノーベル賞受賞は1977年にイリヤ・プリゴジン博士(ロシアからの移住者)が化学賞を受賞して以来、36年振りのことになります。興味深いのは両人共にブリュッセル自由大学(ULB)の元教授だったという共通点です。更に言えば、1974年に医学生理学賞を受賞したアルベルト・クラウデ博士も同じ大学の教授でした。ブリュッセル自由大学には基礎研究に熱心な学風があるのかも知れませんね。ノーベル賞受賞者の国籍を調べていると、圧倒的に英米人が多い(米国人325人、英国人111人)ことに気付きます。しかもノーベル賞を2回受賞した4人のうち3人は英米人です(もう一人はフランス国籍を取得したマリ・キュリー夫人)。他方、無国籍という人(1933年に文学賞を受賞したイヴァン・ブーニン氏)や国籍不明という人(1989年に平和賞を受賞したダライ・ラマ14世)もいます。受賞者の総数では、ベルギー人は10人(うち5人は第二次世界大戦以前)、日本人は18人です。国民人口比で日本の10分の1以下のベルギーが(戦後だけをとっても)5人の受賞者を出しているのは誠に立派だと思います。
<ロト・クロスカップと東京オリンピック>
同じく先週、ブリュッセル市内で「ロト・クロスカップ」というクロス・カントリー競技の国際大会(12月22日)を発表する記者会見が行われ、特別ゲストとして招待されました。この大会の主催団体を代表して記者会見に臨んだのは東京オリンピック3000m障害の金メダリスト、ガストン・ローランツ氏。彼は、3000m障害で2度に亘り世界記録を樹立したほか、20km走や1時間走でも世界記録を打ち立てるなど、1960年代の陸上長距離界の世界的なスター選手だった方です。東京オリンピックと言えば50年近く昔のことであり、その時の金メダリストは現在76歳の御高齢です。私がこの記者会見に招待されたのは、1964年の東京オリンピックとローランツ氏の御縁だけでなく、2020年オリンピックの開催地に再び東京が選ばれたことが背景にあったようです。1964年当時、私は中学3年生で、代々木体育館で行われたバスケットボールの試合を観戦しましたが、陸上競技は男子マラソンで円谷幸吉選手がゴール寸前で英国選手に抜かれ銅メダルとなったシーンのみが無念の記憶として残っています。なお、1964年のオリンピックの開催地を決める過程で東京のライバルとなった候補地の1つがブリュッセルでした。まあ、随分と昔のことで、当時のことを知る人は段々と少なくなって来ましたね。
<メロード城のクリスマス市>
ブリュッセルの東170km、ドイツのアーヘン市に近いランゲルウェーヘという小さな町の郊外に「メロード城」と呼ばれる中世のお城があります。私は、かねて、城主であるメロード家の一族から招待されていましたので、先日の日曜日に訪ねてみました。ちょうど大掛かりなクリスマス市が開催中で、100軒近い店舗がお城を囲むように軒を並べており、なかなか壮観でした。メロード家は11世紀にまで遡ることが出来る神聖ローマ帝国時代からの貴族の家柄で、1830年のベルギー独立の折にも重要な役割を果たしています。お城は12世紀に創建されたようですが、その後の度重なる戦争で破壊され、更に13年前にほぼ全部を消失するような大火があって、現在の城は最近になって再建されたものだそうです。ドイツでは昔から12月になると領主が領民のためにクリスマス市を開催する伝統があり、メロード家も今日までその伝統を引き継いでいるのです。しかもメロード城のクリスマス市はその規模の大きさで近在に広く知られており、私が訪問した日にも駐車場には夥しい数の個人車両のほか数台の観光バスが止まっておりました。私は城主の御夫妻から城内に案内され、御茶をいただきながら、一族の方々や友人の皆様としばし懇談させていただきました。その際に、先代の城主は世界的に有名なブリュッセルの時代祭「オメガング」で、毎年、主人公であるカール5世に扮していたとのお話を伺い、ヨーロッパの貴族の血筋は決して絶えることなく中世から現代まで脈々と続いているのだと納得しました。
<アントワープで鑑賞した「くるみ割り人形」>
今月の初め、アントワープの王立バレエ学校から冬の定期公演に招待され、生徒たちによる「くるみ割り人形」のバレエを鑑賞して来ました。この専門学校には日本人の生徒も多く(現在は14名)、私は今年の6月に訪問して校長先生や日本人の先生・生徒たちにお会いしておりました(「よもやま話」第19回ご参照)。この日の公演でも第一幕のクララ、第二幕の「金平糖の精」という2人の主役(プリンシパル)を日本人の女子生徒が演じてくれました。公演後には出演者全員と合同写真を撮る機会もあり、本当に楽しい夕べとなりました。「くるみ割り人形」は、ご存じのとおり、チャイコフスキーの3大バレエ曲の1つで、クリスマス・シーズンの定番ですが、物語の原作者がドイツ人作家のエルンスト・ホフマンであることは余り知られていません。彼は19世紀の初頭に活躍した伝奇小説家で、現実と幻想が入り混じった特異な文学世界は、同時代の作家(特にフランス)や作曲家に大きな影響を与えたようです。ワグナーやシューマンらもホフマンの作品からインスピレーションを得た楽曲を残していますね。日本では、夏目漱石の「吾輩は猫である」がホフマンの晩年の代表作である「牡猫ムルの人生観」からヒントを得たものであることは知る人ぞ知る逸話です。まあ、冬の夜長、こんなことを漠然と考えながら、少年・少女たちが真剣に踊るバレエを大いに楽しませていただきました。
<元名誉総領事の御逝去>
 先日、かつて日本の在アントワープ名誉総領事を務めていただいたルネ・ペーテルスさんが80歳で永眠され、2日前にアントワープのカトリック教会でご葬儀がしめやかに執り行われました。ペーテルスさんは現役時代にアグファ・ゲヴァートという化学品メーカーの役員を務め、最後はベルギー化学産業連盟の会長という要職にあった方です。日本との関係では2000年から2010年までフランドル地域(オランダ語圏)を担当する名誉総領事を務めていただきました。私はレセプションの折に数回お会いしただけですが、大変な紳士という印象でした。日本人に会うと「現役時代に仕事で25回日本を訪問した」と語っていたようです。ご冥福をお祈りしたいと思います。
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