第48回 スタブロのブランムーシ祭は面白い!!
2014年4月1日
先週、米国のオバマ大統領がブリュッセルを初めて訪問し、EU首脳やNATO事務総長との会談をされました。24時間に満たない短い滞在でしたが、ウクライナの問題などもあってベルギーの人々の関心も高かったようです。私は、ブリュッセル市内で行われた演説会に招待を受け、オバマ大統領の肉声を聞く機会を得ました。オバマ大統領の演説を直に聞くのはこれが2度目です。前回拝聴したのは米国のシカゴでのことで、何と10年以上も前のことです。当時のオバマ氏は未だシカゴ大学の教授で、イリノイ州の上院議員選挙に向けた民主党の候補者選びを行う予備選挙に立候補したばかりの時でした。私にとってはシカゴで総領事を務めていた時代で、米国における選挙の実情を知るために、たまたまオバマ候補の選挙集会を傍聴したのです。当時、オバマ氏はイリノイ州内ですら政治家としては無名で、黒人の候補として多少の注目は集めていたものの、民主党の上院議員候補選びの中ではダークホース的な存在だったと記憶します。選挙集会を傍聴していた私の印象はスピーチの上手な人というだけで、よもや5年後に米国の大統領になる人とは夢にも思いませんでした。先週、大統領任期の2期目に入ったオバマ大統領の堂々たる演説を拝聴しながら10年の歳月が瞬く間に過ぎてしまったことにある種の感慨を覚えました。シカゴでの選挙集会の時には気軽に演説会場に入れたのですが、今回は厳しい交通規制の中を右往左往しながら徒歩で会場に辿りつき、30分かけてセキュリティ・ゲートを通過し、着席してから演説が始まるまで2時間待つことになりました。友人の助言で本を持参し、長い待ち時間を読書に費やすことが出来たのがせめてもの幸いです。
<カルタムンディ社とカード博物館>
ベルギーの北東部にトルンハウトという人口4万人ほどの小さな町があります。ブリュッセルから84kmほど離れており、直線で辿りつけないために車で行くと1時間半ほどかかります。この町は「トランプの聖地」として世界に知られており、「カルタムンディ」という会社一社で世界のトランプ・カードの15%ほどが作られており、年間の売上は200億円(€150Millions)近いそうです。勿論、製造しているカードはトランプだけではなく、子供が蒐集するバンダイやタカラトミー社のキャラクター・カードからカジノで使うコイン札まで広範囲に亘ります。昨年末には日本のアマダ・グループとの合弁で埼玉県の草加市に新たな工場(従業員78人)を設立することで合意しています。従来はベルギーの製品を日本に輸出していたのですが昨年からの円安で採算が合わなくなり、日本の有力カード会社であるアマダ・グループと提携して日本で生産することにしたのだそうです。「カルタムンディ」社は世界各地に工場や販売店を有しており、従業員総数は1350人、そのうちトルンハウトの本社に320人ほどが働いています。世界一のカード会社になったのは2005年からとのことで、これからの目標は「世界の模範(リファレンス)」になることだと語ってくれました。
なお、トルンハウト市内には「国立カード博物館」があり、こちらも30分ほど見学しました。19世紀初頭からのトランプ・カード製造の歴史が良く分かるような展示になっており、初期の木版印刷機も置かれています。驚いたのは、日本の江戸時代末期に当たる19世紀半ば頃に、花札や百人一首、そして「すでろく」と呼ばれた役者絵のカードまで受託生産していたことです。おそらく、長崎の出島にあったオランダ商館を通じて取引が行われていたものと推察されます。トルンハウトは当時からカード生産の世界的な拠点の1つだったのですね・・・。
<ユニークな2つの日本企業:AMANOとARIAKE>
先月、ベルギーの北東部に展開しているユニークな日本企業を訪問しました。最初に訪れたのはゲンク市に本社を構える「AMANO EUROPE HOLDINGS」という就業管理システムや駐車場管理機器・ソフトを販売する会社(従業員は全体で465人、うちゲンクに日本人駐在員4人を含む31人)です。1972年に販売会社をブリュッセルに設立した後、1989年からはゲンク市に工場を設立して10年以上に亘ってタイムレコーダーなどの製造も行っていたのですが、中国からの安価品に押されて製造部門は閉鎖に追い込まれたようです。現在は、就業・給与・人事管理などのシステム(機器・ソフト)を販売し、欧州市場の5%ほどのシェアを占めているとのことですが、欧州では国ごとに労働法制が異なるため単一のシステムで対応できないという難しさがあるようです。駐車場ビジネスの方は、今後その拡大が目標とのことでした。なお、横浜市に本社がある「アマノ株式会社」は1931年に創業しており、従業員数が連結で4240人、年間売上が900億円を超える大きな会社です。
同じ日、次に訪問したのがマースメヘレン市で天然の液体調味料を製造・販売している「ARIAKE EUROPE」という食品会社です。2004年にベルギー法人を設立(2008年に工場を建設)したばかりの新しい会社で、現在の従業員数は日本人駐在員3人を含む50人。東京に本社がある「アリアケ・ジャパン」(主力工場は長崎県に所在)は1966年に創業し、「レストランのシェフと同じ味を工業的に作る」をモットーに、鳥ガラなどのスープや各種の調理ソースを製造しています。販売先は概ね業者が相手で個人消費者を対象にしていないため、一般の人々には「アリアケ」という名前は余り馴染みがないのですが、日本の有名ラーメン・チェーン店にスープを卸しているほか、コンビニ弁当などに付いているミニ・ソースやインスタント麺の粉末スープなどは大半がアリアケ製品のようです。マースメヘレンというベルギーの片田舎に工場を設立した理由を訪ねると、地元自治体が優良な投資環境を整備してくれたことと原料の調達が容易であったこと、と説明してくれました。当初は製品の大半を日本に輸出していたようですが、最近では欧州内での販売が50%近くに伸びているとのことでした。
<スタブロのブラン・ムーシ>
 3月のベルギーは国中でカーニヴァルが開催されており、それぞれの主催都市はイベントの歴史とユニークさを競っているようなところがあります。スタブロ市の「ブラン・ムーシ」(「白い衣」の意)などはそうしたユニークな祭りの代表格ですね。スタブロ市はブリュッセルの東160kmほど、ドイツとの国境に近い小さな町(人口6800人)です。アンブレーヴ川沿いの渓谷に挟まれるように、ひっそりとした佇まいを見せています。この町の歴史は古く、7世紀半ばに聖レマクルによってベネディクト派の修道院が建てられ、爾来、町全体が宗教都市として18世紀末に至るまで半独立国のような歴史を辿ってきたようです。この町にまつわるもう1つの逸話は、フランスの代表的詩人アポリネールが19世紀末に滞在した折に地元の娘さんに恋をして多くの恋愛詩を残したというものです。それらの詩は町の記念館に今も展示されています。
私は、一昨日の日曜日、町の名士である男性から「ブラン・ムーシ」の祭りに招待され、ほぼ丸一日を家内と共にスタブロで過ごしました。午後のパレードでは様々な仮装行列の最後に白装束に赤い長鼻の仮面を被った200人近い男性の行列が延々と続きます。貧しい修道僧の物語が背景にあるようですが、3トンを超える大量の紙ふぶきを撒き散らし、豚の膀胱で作った風船で見物客を叩きながら行進する風景は異様です。この日、私は「公式な賓客」の扱いを受け、夕方に聖レマルク修道院の一室で「ブラン・ムーシ」を組織している結社の名誉会員になる儀式まで受けることになりました。まるで秘密結社の秘儀のような入会儀式に驚きました。そして最後に、同じ修道院の中で、打ち上げの大宴会が夜遅くまで開かれました。私は宴会の途中で御礼の挨拶に立ち「今日一日は驚きの連続でしたが、地元の方々に終始温かく迎えていただいたことに感謝します。スタブロの町を訪問するのは今日が初めてでしたが、これが最後の訪問でないことを確信しています」と申し上げました。この日は、1年半近くになる私のベルギー滞在の中で最も忘れがたい一日でした。
<バストーニュの戦争博物館>
 ブリュッセルから南東に150km、標高500mほどの広大な高原地帯の中にバストーニュと呼ばれる小さな町(人口15000人)があります。くるみの実とアルデンヌ・ハムが名産という以外は一見して何の変哲もない町なのですが、第二次世界大戦の末期、1944年に米軍とドイツ軍との間で死闘が展開された「アルデンヌの戦い」の最大の激戦地として世にその名を知られています。9万の米兵が戦闘に参加し、そのうち1万9千人が戦死したようです。戦後、「歴史センター」が設けられ、戦争の記憶が語り継がれてきましたが、このほど3年懸かりの全面改装が終わり、新たに「バストーニュ戦争記念館」として生まれ変わりました。先日、そのオープニング式典が行われ、ルトゲン市長からの招待を受けて出席して来ました。今年は第一次世界大戦の開戦から100年ということでベルギー各地で多くの追悼式典が催されていますが、第二次世界大戦との関係では「アルデンヌの戦い」の70周年ということになります。私は双方の式典に出席して、2つの大戦の間にはわずか30年の隔てしかないにも関わらず、戦闘の様相が劇的に変化していることに驚かされます。それと、第一次世界大戦当時の人々はほとんど亡くなっておりますが、第二次世界大戦となると未だ多くの方が存命しており、90歳を過ぎているとはいえ、旧軍人の姿も見られます。2つの大戦で国中が戦場となったベルギーでは、戦争の記憶は消えることはないようです。
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