大使のよもやま話

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第52回 ブリュッセルの安倍総理大臣

2014年5月12日

    ベルギー人の宗教観が大きく変化しつつある。最近、米国の世論調査機関が世界65ヵ国で行った宗教に関する世論調査で、多くのベルギー人が「宗教は社会に悪い影響を与えている」と考えていることが判りました。ヨーロッパでは宗教の社会的影響について懐疑的な意見が急速に広がっているのですが、とりわけデンマーク、ベルギー、フランスの3ヵ国で懐疑的意見が肯定的意見を大きく上回っているようです。世界的に見ると、「肯定派」が多いのはアフリカ諸国が一番、続いてアメリカ大陸、中近東地域、アジア諸国の順番になっており、最低が西ヨーロッパ(肯定的36%、懐疑的32%)という訳です。この世論調査では宗教別や職業別でも回答内容を分析しており、それによると宗教の社会的影響に最も肯定的なのはイスラム教徒で、最も否定的なのはヒンズー教徒、職業別では知的職業の人ほど懐疑的意見が多く、特に博士号取得者の場合は圧倒的に否定的な意見が多いようです。実は、2年前に、同じ世論調査機関が国別の宗教帰依度を調査しており、それによると、ベルギー人の帰依度(キリスト教などに信心する人)は59%で、全体として低下傾向にあるものの、依然過半数の人が宗教心を持っているようです。こうしたベルギー人が宗教の社会的影響を懐疑的に見ているということは、むしろキリスト教以外の他の宗教に対する見方が否定的になっているということかも知れませんね。因みに、日本人の場合はどうかというと、そもそも宗教心を持つ人の割合が16%と極端に低く、「自分は無宗教である」と確信している人が31%(ベルギーは8%)、「答えられない」という人が23%(ベルギーは7%)という驚くべき高さになっています。従って、宗教の社会的影響についても懐疑的という人が日本では圧倒的に多いようです。

<安倍総理とNATO>

    先週、安倍総理が欧州6ヵ国歴訪の最後の訪問地としてブリュッセルを訪問されました。わずか1日半の短い滞在でしたが、この間、NATO事務総長やEU首脳との会談、そしてベルギーのフィリップ国王陛下への拝謁、ディ=ルポ首相との会談も忙しくこなされました。この中、最初の行事がNATO本部への訪問で、空港到着後に直行する慌ただしさでした。ラスムセン事務総長は昨年4月に日本を訪問して安倍総理と会談しており、今回はその時以来の再会となりました。会談では、今後の日・NATO協力のあり方からウクライナなどの地域情勢まで幅広い話し合いが行われ、直後に日・NATO協力の指針を取りまとめた「国別パートナーシップ協力計画(IPCP)」という文書への署名式が行われました。更に、安倍総理は北大西洋理事会(NAC)でスピーチし、28ヵ国のNATO加盟国常駐代表と30分以上に亘る質疑応答も行いました。各国からは日本の新たな安全保障政策について理解と支持が表明されました。ウクライナ情勢が深刻化する中、NATOは本来任務である域内防衛に関心を回帰させており、同じように防衛努力を強化する日本の現状には共感するものがあったようです。

<安倍総理とベルギー>

yomoyama_052_pm    安倍総理は、同じ日の夕刻にブリュッセルの北端にあるラーケン王宮を訪ね、フィリップ国王陛下を拝謁しました。お二人だけの接見ということで私は控えの間で30分ほど待つことになりました。フィリップ国王陛下は皇太子になる以前まで遡ると9回も日本を訪問されており、直近では一昨年6月に経済ミッションを率いて訪日しています。接見の場では、我が国皇室とベルギー王室の交流を含めて多くの話題が取り上げられたようでした。その翌日午後、安倍総理はディ=ルポ首相との首脳会談に臨まれました。これまで両首脳は国際会議の折に立ち話をしたことはあったようですが、正式の会談はこれが初めてです。45分間という短い会談でしたが、両国の政治・安全保障対話から経済・文化交流まで二国間関係の強化に向けて有意義な意見交換をしていただけたと思います。最後は、全ての公式行事を済まされた後、安倍総理ご夫妻は極く短時間ながらベルギー最大の観光名所であるグラン・プラスを散策されました。私としては是非ゆっくりとユネスコの世界遺産である建物群を鑑賞していただきたかったのですが、広場に足を運ぶや否やたちまち大勢の観光客に囲まれ、写真撮影を求められ続けることになってしまいました。安倍総理の知名度は高く、よほど上手に変装しない限りゆっくり観光することは土台無理だと納得しました。

<幕末に日本に駐在した初代ベルギー外交官の子孫>

yomoyama_052_brafayomoyama_052_treaty    今から150年前、幕末の日本を訪れて日本とベルギーの修好通商航海条約の交渉に臨んだベルギー政府全権がオーギュスト・トキント・デ・ローデンベークという手管の通商交渉官であることは「よもやま話」(第29回)でご紹介しました。彼は、1866年に交渉が成立した後、自ら初代の特命全権公使として改めて日本に赴任しています。数か月前、全くの偶然ですが、BRAFAというブリュッセルにおける古美術見本市の主催者が同じトキント・デ・ローデンベークという姓をお持ちの方でしたので、もしかして御子孫ではないかと期待し、BRAFAの会場で面会してお話を伺いました(「よもやま話」第42回ご参照)。残念ながら、ご本人は日本と外交交渉をしたオーギュストという名前の先祖は知らないということでしたが、その後、家伝に詳しいという父親に照会したところ、オーギュストという名前の先祖が確かにおり、外交交渉のために日本を訪れていることも確認できたという連絡が入りました。yomoyama_052_augusteそして、その証拠品として、同人が1878年3月に61歳で他界した際の葬儀案内状(その履歴には日本赴任の事実も記載されています)の写しを送付してくれました。驚いたことに、その連絡メールの中に、トキント・デ・ローデンベーク家は古い家柄で家系が複雑に枝分かれしており、初代駐日公使のオーギュストとBRAFA主催者であるハロルドとの共通の先祖は15世紀半ばまで遡らねばならない、との解説まで添えられていました。オーギュストはアントワープに住み着いた家系に属していたらしく、兄弟姉妹が3人いたが本人は独身を通し、従って直系の子孫はいない、ということまで調べ上げてくれたのです。日本にまつわる初代のベルギー外交官の子孫を探していた私としては失望を禁じえませんでしたが、王国であるベルギーでは高貴な家柄の方は自らの家系を数世紀前に至るまで大事に保存管理しているという事実を知り、大いに感心しました。

<日本製のトラクターやフォークリフトを輸入販売するベルギー人>

yomoyama_052_kubota1    ベルギーでは日本のクボタやコマツの農業機械や建設機械が作業現場で使われている風景を良く見かけるのですが、両社の直販店はありませんので、どのような経路で販売されているのか疑問に思っていたところ、最近になってその謎が解けました。ベルギーにはビア・グループマテルマコ・グループといった農業機械などを専門に取り扱う販売代理店網が存在しており、私は、これらグループの社長たちと知り合い、その本社を訪ねることが出来ました。マテルマコ・グループ(オランダのメカン・グループの傘下企業;従業員70人)の場合、ジャンブルー市(ブリュッセルの南東44km;人口23700人)に本社があり、1976年からクボタ製品を、また1978年からコマツ製品の販売を手掛けているようです。yomoyama_052_kubota2ヤンマー製品などを含めた日本製品の販売シェアは売上額全体(2013年で約70億円)の30%ほどになるそうです。販売先は基本的にベルギー国内ですが、ライバル企業であるビア・グループの場合はフランス語圏アフリカ諸国まで広くカバーしているようです。マテルマコ・グループのリーデケルケ社長によれば、販売代理店の難しいところは、販売担当の従業員に対する技術研修そして故障修理を担う要員と必要部品の確保だそうです。日本企業側からすれば独自の販売網を構築するより、現地に密着した販売代理店と契約する方がコスト的に安く利便性も高いようです。こんなところでも日・ベルギー間のビジネス関係が深化しているのですね・・・。

<自宅に日本庭園を造ったベルギー人>

yomoyama_052_morlanwelz    ブリュッセルの真南55kmほどのところにあるモルランウェルという小さな町(人口18900人)に、ディ=ルポ現ベルギー首相もかつて中学・高校時代を過ごしたという名門校「モルランウェル学院」があります。先月末、学校側から開校記念日の行事に招待され、日本語を学ぶ生徒たちによる発表会に出席しました。この発表会には校長先生は固より、地元の州知事や市長も出席し、大勢の父兄の前で、7人の高校生による日本語の寸劇や朗読劇が行われました。日本語教育は正規の教育課程にはなく、少数の希望者が昼休み時に地元のボランテイアの先生に習っているとのことで、学年の初めに20人ほどいた生徒も学年末近くになると半数以下になってしまうようです。日本語を学ぶ動機はやはり日本のマンガへの興味にあるとのことでした。
yomoyama_052_japanesegarden    さて、ボランテイアで日本語を教えている方はミルン先生と言い、かつて「モルランウェル学院」で音楽の教員をし、定年退職してから半ば独学で覚えた日本語を生徒たちに教え始まったようです。発表会が終わってから10kmほど離れたご自宅に招かれたのですが、何とご自宅に広大な日本庭園があり、大変驚きました。しかも、日本庭園に関する専門書を参考にしつつ御自身で造ったのだそうです。日本には御夫人とともにしばしば旅行しており、今回も2週間近くに亘る日本旅行から戻ったばかりで、まだ時差が抜けきっていないと笑いながら旅行の思い出話を聞かせてくれました。ベルギーの片田舎にミルン先生のような熱狂的な「日本ファン」がおられるのは驚きであると同時に、本当に嬉しいことです。

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