ベルギーの街角から:日本大使からの一言

令和7年8月11日

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平成29年6月8日
 

第2回 エリザベート王妃国際音楽コンクール

   私が、子供の頃、最初にベルギーという国名を覚えたのは、名ヴァイオリニスト、アルチュール・グリュミオーの出身国だから、という記憶があります。グリュミオーが1950年代に録音したモーツァルトのヴァイオリン・ソナタのレコードは、子供の頃から一貫して、私の最も好きなものです。これまで何度も繰り返し聴き、その都度幸福感を味わって来ました。えも言われぬ甘美な音色、品格のある構成感、バランスの取れたテンポ、新鮮なリズム感など、今日聴いても全く古く感じません。私が最初に感じたベルギーは、こんな素晴らしい音楽を演奏する人がいる国、というものでした。

  その後、私が大学3年生の時に、ベルギーから、当時としては驚きの、しかし素晴らしいニュースが飛び込んで来ました。それは、エリザベート王妃国際音楽コンクールで初めて日本人が優勝したというものでした。1980年のヴァイオリン部門での堀米ゆず子さんの優勝です。もちろん、それまでも日本人の音楽家が国際舞台で活躍することは珍しくありませんでしたし、国際コンクールで上位入賞を果たした方も少なくありませんでした。しかし、世界3大音楽コンクールの一つとまで言われるコンクールでの優勝は日本人にとってはこれが初めてのもので、日本国内ではとても大きな話題になりました。
 私にとっては、音楽愛好家の一人として大変嬉しく感じましたし、同時に、同世代の日本人が国際舞台で活躍している姿が大変眩しく感じられました。ちょうど大学を卒業した後どのような道を進むかを考えていた時期でしたので、自分としても国際社会で活躍してみたいという思いを強くする切掛けの一つになったような気がします。

  私がベルギーに着任して間もない5月8日に、2017年のエリザベート王妃国際音楽コンクールが始まりました。今年は、長いコンクールの歴史上初めてチェロが取り上げられ、6月3日まで行われた審査の結果、フランス人のヴィクトール・ジュリアン=ラフェリエールさんに次いで、日本人チェリストの岡本侑也さんが見事第2位に入賞しました。
 私にとっては、期せずして、エリザベート王妃国際音楽コンクールを身近で体験する機会になりました。コンクールを巡る雰囲気を実感するとともに、コンクールを実際に支えている人達とお会いし、コンクールにチャレンジする出場者と接する中で、これまで気付かなかったと感ずることも少なくありませんでした。ここでは、その中から4つの点を取り上げてみたいと思います。

  第一に、コンクールに対するベルギーの方々の関心の高さに驚かされました。  コンクールの期間中は、ブリュッセルのあちこちでコンクールが話題になっていました。コンクールがクラシック音楽愛好家の限られた関心事項ではなく、もっと広く、ブリュッセル市民の、あるいはベルギー国民の関心事項ではないかと思えるくらいです。
 特に、ファイナリストと呼ばれる決勝進出者12名が選ばれた5月20日以降は、インターネットだけではなく、マスメディアでの報道が大きなものになりました。当地の新聞には、12名の写真と経歴や人柄が詳しく紹介され、5月29日から毎晩2名ずつの決勝演奏会が始まると、連日、テレビやラジオは夜のゴールデンアワーに会場から生中継を行い、翌朝の新聞は1ページを丸々使ってその模様と分析を報道していました。
 現代の社会においてクラシック音楽のコンクールにこれだけの関心が集まるというのは、ベルギーの外では実感するのが難しいように思えます。どこに関心の中心があるのでしょうか。私には、次の時代の新しい才能を発掘する、それを世界に向けてベルギーで行うということに、ベルギーの方々が重要な意義を見出しているからではないか、という気がします。

  第二に、コンクールを実際に支えているベルギーの方々の熱意の強さに驚かされました。
 多くの文化事業がそうであるように、エリザベート王妃国際音楽コンクールも支援者による協力なくして成り立ちません。その一つが個人や企業からの寄付であることは言うまでもありません。
 加えて、もう一つのコンクールへの協力のあり方がホストファミリーの制度です。コンクールに参加する若い音楽家を自宅に泊めたり、練習する場所や伴奏用のピアノを提供したり、ホストファミリーの方々が自発的な支援を行うことでコンクールが実際に支えられています。自宅を提供するといっても、勝ち残って行くと長丁場になるコンクールですから、安易な気持ちでは出来ないでしょう。
 今回、その中のお一人で日本人の出場者を受け入れてくれた方と何度もお話しする機会がありました。演奏会の会場では、「どうだった、良かったでしょう、絶対に勝ち残ると思う」とおっしゃっていたし、その後、良い結果でないことがわかった時も、「紙一重の差で残念、もうちょっとで勝ち残れたのに」と、本当にご自分のお子さんが出場しているかのような親身そのものの態度でした。また、その出場者が帰国する前日には、自宅に知人を集めてホームコンサートを開催して一同で励ますという、心の温まる演出もなさっていました。

  第三に、コンクールの厳しさについてお伝えする必要があります。コンクールは、3次にわたる選考を経て結果を出す長くて過酷なプロセスでした。  第一次予選では、出場希望者202名から提出されたビデオの選考を経て選ばれた69名の出場者が、18世紀、19世紀、20世紀を代表するチェロのための作品を演奏しました。ショパン国際ピアノコンクールがショパンの作品だけを選考対象にするのと対象的に、幅広い作品に対応する能力が試されます。
 準決勝は更に厳しいものになりました。24名に絞られた出場者は、協奏曲をオーケストラと共演するとともに、バッハの無伴奏チェロ組曲とベルギーの現代作曲家による新作を含んだリサイタルのプログラムを2種類用意して、演奏の直前に審査員から指示された方のプログラムを演奏しました。協奏曲、ピアノ伴奏付きの曲、無伴奏の曲という幅広いジャンルに対応出来る能力と、21世紀の音楽への理解力が試されます。
 決勝は、12名に絞られたファイナリストが、フルオーケストラをバックに、世界初演となる新作と自分で選んだ協奏曲の合計2曲を演奏しました。今年の新作は、ベルギーでも高い評価を得ている日本人の現代作曲家細川俊夫さんによる、オーケストラと独奏チェロのための「Sublimation」(日本語にすると「昇華」でしょうか)でした。ちなみに、ファイナリスト12名の出身国は8か国にのぼり、その中に2名の女性も含まれているなど、コンクールが多様性にも配慮していることが感じられました。
 これだけ厳しい課題をこなして行けば、出場者は、自分の音楽性や技量の全てを出し尽くすことになります。表面的な技巧や付け焼き刃の練習では、到底評価を得られない仕組みになっています。

  第四に、このように1か月近くの時間と多くの善意と情熱を費やして行われた今年のエリザベート王妃国際音楽コンクールでしたが、コンクールの名前が示すとおり、ベルギー王室の強いバックアップがあることに触れる必要があります。それは、何よりも、マチルド王妃ご自身がコンクール会場に頻繁に足をお運びになっていたことが示しています。
6月6日には、ブリュッセルの郊外ワーテルローにおいて、マチルド王妃ご臨席の下で上位入賞者への授賞式が行われました。授賞式が終わった後に別室に移って、王妃は、一人一人の入賞者、ホストファミリー及び出身国の大使とそれぞれ親しくお話になり、入賞者のコンクールでの健闘を称えていらっしゃいました。コンクールの舞台の上で迫真の名演奏を繰り広げて来た入賞者達も、この時ばかりは普通の20代の若者に戻り、まだ幼さの残る笑顔を見せながら、王妃と言葉を交わしていたのが大変印象的でした。
 厳しいコンクールにチャレンジすることを通じて卓越した才能を見出された彼ら、彼女らが、今後、その才能を十二分に開花させ、真に国際的に活躍するよう祈念したいと思います。
 

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