ベルギーの街角から:日本大使からの一言

平成30年5月17日

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第7回 イーペルの猫祭り

ベルギーに春が訪れると、各地で伝統のあるお祭りが開催されるようになります。そのようなお祭りの一つに、ベルギー西部の西フランダース州にあるイーペルの町で三年に一度行われる猫祭りがあります。2018年はちょうど開催の年に当たり、5月の第二日曜日の13日に45回目の猫祭りが開催され、大勢の来訪者で賑わいました。

イーペルは、フランダース平原のほぼ中心に位置する町で、中世から毛織り物の産地として繁栄しました。町の中心のグローテ・マルクトに面した繊維会館や聖マルティヌス聖堂は、13世紀に作られたゴシック様式の堂々たる建物で、ベルギーの他の都市の歴史的建造物を上回る規模を持っています。しかしながら、イーペルは、その戦略的な位置が災いしたためか、英仏百年戦争やルイ14世によるフランスの対外侵略など、戦争の悪影響を受けて来ました。特に、20世紀に入ってからは、第一次世界大戦の最大の激戦地の一つとなり、徹底的な破壊を受け数多くの犠牲者を出しました。今日見られるようなイーペルの猫祭りは、第一次世界大戦終結から20年を経た1938年に、町の復興を記念する意味も込めて始まったと言われています。

前夜祭に当たる12日土曜日の午後8時過ぎからは、町のあちらこちらで猫にちなんだダンスや音楽の催し物が行われ、雰囲気を盛り上げていました。 お祭りのハイライトは、何と言っても、当日の午後3時からグローテ・マルクトの周辺で行われる猫のパレードです。日本語の「猫祭り」に相当する言葉はそもそもイーペルには存在せず、このお祭り全体が「猫のパレード(Kattenstoet)」と呼ばれていることからも、パレードの持つ重要性がわかります。
  パレードには、猫にちなんだ様々な出し物が多数あって、観客の目を楽しませてくれました。子供達が扮する鼠や猫の仮装パレード、猫と魔女や悪魔のパレード、ガーフィールド、キティーちゃん、ミュージカルのキャッツなど世界中の猫のパレード、ミネケ・パス(Minneke Poes)と名付けられたお祭りを象徴する巨大な猫とその家族のパレードなどです。

パレードが終わった夕刻には、グローテ・マルクトの中心に聳える繊維会館の鐘楼のバルコニーから、グローテ・マルクトを埋め尽くす群衆に向かって猫の縫いぐるみが投げられました。上手く猫を受け取った人には幸運が約束されるという言い伝えから、投げられた縫いぐるみの奪い合いが起こり、観客の興奮と大きな歓声やため息と共に、祭りは終わりに向かいました。

イーペルの猫祭りは、日本でも猫の愛好家を中心に良く知られるようになっていて、今回も多数の日本人の方々がお祭りを見に来ていました。どのくらいの数かははっきりとわかりませんが、ざっと見渡したところ、観客の十人に一人くらいが日本人なのではないかとすら見受けられました。大多数の観客がベルギー人か、フランス、オランダ、イギリスといった近隣のヨーロッパの人々なので、日本人の存在感には一際大きなものを感じました。猫の愛好家と思わしき日本人の中には、猫の仮装をして参加している方々もいて、ほとんどの観客がごく普通の服装である中で、特に目立った存在でした。

日本の猫の愛好家の方々はがっかりするかもしれませんが、イーペルの猫祭りを見てみると、これが必ずしも猫に対する好意や愛情を発露させるだけの機会ではないことがわかります。
  ヤン・デュルネ市長からも直接お聞きしましたが、そもそもこの祭りの起源は、繊維会館の鐘楼から猫を投げた行事にあるそうです。もちろん近代に至り動物虐待に当たる行為は禁じられましたが、1817年までは縫いぐるみでなく、本物の猫が投げられていたとの資料もあるそうです。
  今回のパレードの出し物でも明らかだったのが、猫と魔女や魔術との関係です。中世から近代に至るヨーロッパにおいて、猫が魔女や悪魔の手先とみなされ、悪霊と密接な関係があるとされていたことは、多くの資料に記されています。猫を殺害することで悪霊を祓うという儀式は、キリスト教以前からのヨーロッパの習慣として、近代に至るまで広く見られたと言われています。
  20世紀前半イギリスのホラー小説の大家アルジャーノン・ブラックウッドに「いにしえの魔術(Ancient Sorceries)」という短編がありますが、フランスの地方を旅行中の主人公がいつの間にか猫に変身して、中世の魔女裁判に巻き込まれるという筋書きだったと記憶しています。ヨーロッパの人々が抱いている猫に対する恐怖感やネガティブな思いが、この小説の題材になったように思えます。

もちろん、人々が猫に対して愛情やポジティブな感情を抱いて来たことも疑いのない事実でしょう。
  今日のような衛生状態が確保されていない近代以前のヨーロッパにおいて、都市は常に感染症の危機に直面していました。感染症を媒介する代表者は、何と言っても鼠です。鼠を捕まえる猫は、都市の人々を感染症の危機から救ってくれる価値ある存在と見做されていたことでしょう。
  イーペルは中世以来毛織り物の産地として繁栄して来た歴史がありますが、毛織り物を保存しておく上で鼠は天敵に当たります。鼠を駆除して、毛織り物を安全に保存するために、イーペルの繊維会館には多数の猫が飼われていたとも言われています。
  このように、ヨーロッパの人々が猫に対して持っている複雑な思いが、このイーペルの猫祭りの中に現れているように思えてなりません。

次回のイーペルの猫祭りは、今から三年後、2021年5月の第二日曜日、すなわち5月9日に行われることになるでしょう。
  猫好きの方も、そうでない方も含めて、出来るだけ多くの日本の方々がイーペルにいらっしゃって、このお祭りを直接体験してくれることを願っています。

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