大使のよもやま話

平成26年3月12日

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第46回 東日本大震災3周年

イングリッド・バーグマンと言えば、誰でも、20世紀最高の女優の一人と言われるスウェーデン出身のイングリッド・バーグマン(1915-82)を想起するでしょう。私も彼女の大ファンで、「誰が為に鐘は鳴る」や「カサブランカ」といったハリウッド映画は何回見たか知れません。また、余り知られていない作品ですが、「ジャンヌ・ダーク」(1948年の作品)も好きで、今でもDVDを大事に保存しています。最近、ベルギー人の友人から「ベルギーのイングリッド・バーグマン」の話を聞き、少々驚きました。この女性は、1980年代に大活躍した柔道選手で、ソウル・オリンピック(1988年)で金メダル(72kg級)を獲得した他、世界選手権6連覇という偉業を達成しています。ウィキペディアでは「女子柔道黎明期のスーパースター」と紹介されています。オランダ語圏のリンブルグ州の出身で、地元では「イングリッド・ベルグマンス」と表記されるのですが、女優イングリッド・バーグマンもスウェーデンでは「インリド・ベリマン」と表記されますから、私としては、2人は同姓同名の女性というふうに受け止めています。最近の地元紙にベルギーの「イングリッド・バーグマン」さん(現在53歳)が、国際柔道連盟から男女平等委員会の委員長に任命されたという記事が出ておりました。この記事によると、彼女は1990年に結婚して現役を引退してからは柔道の世界から身を引き、リエージュ市でスポーツ・クラブの経営などをして来ているようです。久々に国際舞台に登場した「ベルギーのイングリッド・バーグマン」さんに拍手を送りたいと思います。

<震災3周年の追悼行事>

昨日の3月11日、東日本大震災3周年を追悼するレセプションを開催しました。「セルクル・ゴーロワ」という会員制クラブの会館を会場にした追悼記念会には日本・ベルギー双方の関係者250人ほどが集まりました。私からは震災後にベルギーの方々から多額の義捐金をいただいたことに改めて感謝申し上げました。そして今回の追悼行事では被災地の子供たちを支援する活動を続けているNGOの代表の方や交流に参加したインターナショナル・スクールの高校生にも活動報告をしていただきました。近代日本における未曽有の災害を風化させず、それぞれの胸の中に3年前の思いを呼び起こすことは、社会の中で共生する者として大切なことだと思います。
東北の被災地では26万人を超える避難者のうち今もって仮設住宅に暮らす方々が10万人おり、福島の場合は原発事故の影響で帰還を断念せざるを得ない人が2万人以上いるようです。津波の被災地におけるがれきの撤去こそ概ね終わったようですが、生活の再建から今後の防災対策となると未だ緒に就いたばかりです。特に、300以上の沿岸生活地区における高台移転や防潮堤などのインフラ整備、福島における放射能汚染の除去などの作業は、これから5年も10年もかかるのかも知れません。震災後の5年間だけで25兆円を超えると見積もられている復興予算の手当ても国や地方自治体にとって大きな負担です。東日本大震災が「過去の出来事」になる日はまだまだ先のことですね。

<アールストのカーニヴァル>

ブリュッセルの西30kmにあるアールスト市(人口79000人)にはレース編みのアトリエを持つベルギー人の友人宅があり先月訪問したばかりです(「よもやま話」第44回ご参照)が、今回はデース市長からの招待を受けて、今月2日の日曜日に、ベルギーで最も有名な伝統文化行事の1つと言われる「アールストのカーニヴァル」(今年は第86回目)を見学して来ました。毎年、「灰の水曜日」(四旬節の初日)に先立つ日曜日から3日間続くこのカーニヴァルでは、山車行列、玉ねぎ投げ(?)、仮装行列などが行われ、見どころ満載です。70ほどの認定団体の他に私的参加のグループがあり、市内の中央広場などを延々と長時間に亘って練り歩きます。各団体の出し物は政治を皮肉ったものや社会風刺を利かせたものが多く、中には少々品位に欠けるものもあります。私は、貴賓席でヘルマン・デ・クロー元下院議長(何と議員歴45年という現役最長老議員)の隣に着席し、御子息であるアレクサンダー・デ・クロー副首相も御一緒でした。ベルギー事情に精通していないと出し物の意味合いが不明のものも多く、その都度、元議長から解説をいただき恐縮しました。春先の野外イベントとあって、日が落ちてくると急に寒さが厳しくなります。私は、寒さに耐えかねて最後まで見ることが出来ませんでした。

<ブリュッセルのアールデコ建築>

日本大使公邸のあるフランクリン・ルーズベルト通りはブリュッセル南部の幹線道路の1つですが、道路を挟んだ両側に大使館や大使公邸など立派な建物が多く並んでいるため、別名「大使館通り」とも呼ばれています。そうした中で、我が大使公邸から500mほど南に下ったところに、ひときわ異彩を放つアールデコの邸宅があります。「アンパン邸」と呼ばれるこの建物は、1930年から1934年にかけてスイス人建築家のミッシェル・ポラック氏がルイ・アンパン男爵の注文に応じて建てたもので、使用した大理石や建材の豪華さもあってブリュッセルにおける代表的なアールデコ建築の1つとされています。ただ、アンパン男爵は数年住んだだけでベルギー政府に寄贈し、その後第二次大戦中にドイツ軍によって接収、戦後はソ連大使館になり、更に地元のラジオ・テレビ局に売却された歴史があるようです。1990年代に空き家になってから荒廃が進み、最近この建物を購入したアルメニア人資産家がほぼ全面的に改築して、2010年から一般に公開されるようになりました。このアルメニア人はボゴシアン財団を主宰して文化や福祉の事業を展開しており、旧アンパン邸を「芸術・東西文化対話センター」の本部として使用しているようです。現在、このセンターで、「椅子と椅子の間の書物」というユニークな展覧会が開催されており、私は10日前の内覧会の日に(建物の方に関心を持って)見学して来ました。ブリュッセルは国が隆盛を極めた20世紀の初頭にアール・ヌーボーの建築群が華を咲かせ、今日ユネスコの世界遺産に指定されているホルタ美術館(ヴィクトール・ホルタ築)やストックレー邸(ジョゼフ・ホフマン築)など多くの豪華な建物が建てられました。しかし、世界恐慌(1929年)の後に訪れたアールデコ時代の建築群にも目を見張るものが沢山あります。ブリュッセルは若き建築家にとっては宝の山のような街なのです。

<茶室と仏像>

広大な公園の中に配置された大仏と観音像、室内には歌川広重の浮世絵と茶室。こんなユニークなところがベルギーにあります。ブリュッセルから南に60kmほど行くと、モルランウェルツという小さな町があり、その町はずれにワロン地域(フランス語圏)第一級の美術コレクションと言われるマリーモン博物館があります。古代エジプトからギリシア・ローマ時代の遺物や美術品が主な展示品ですが、中国や韓国の陶器類、そして冒頭に述べたような日本の文化を象徴するような品々も数多く展示されています。これらは、19世紀末から20世紀の初めに石炭・鉄鋼業で巨万の富を築いた地元の実業家ラウル・ワロケ氏が一代で蒐集した美術品の数々なのです。45ヘクタールもある広大なマリーモン公園はもともと16世紀にオーストリア・ハンガリー帝国を築いたカール5世の妹であるマリー・ド・オングリーが狩猟地として切り拓いたのが始まりとされ、「マリーの山」を意味するマリーモンという地名の起源とされています。19世紀にはワロケ一族が購入し、後継者が途絶えたことで、1991年にワロン地域政府に寄進されています。博物館としてワロケ・コレクションが一般公開されるようになったのは1975年と言いますから、それほど昔ではありません。阿弥陀仏の坐像は1910年に日本を訪問したラウル・ワロケ氏が注文して作らせたものだそうです。茶室は、ベルギーにおける最大の日本祭であったユーロパリア・ジャパンで展示されたものを1989年に移設したものです。まあ、それにしてもこれだけの美術品が一人のベルギー人によって蒐集され、ブリュッセルから60kmも離れた片田舎に日本の仏像まで野外展示されているというのは本当に驚きですね。

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