ラブレター・フロム・ブラッセルズ

トップ > ラブレター・フロム・ブラッセルズ

<< 前へ 記事一覧へ 次へ >>

第六回 「ベルギー文化を支える日本人」と「日本文化を支えるベルギー人」

2014年12月15日

    もうすぐ2014年も終わりです。私がベルギーに赴任してから3ヶ月も経ちました。その間、色々な人に会い、色々な町を訪ねました。今回は、その中で、「わたし的」に、少なからず感動した出会いについて、2つだけお話しします。

    その第一は、「ベルギー文化を支える日本人」との出会いです。正直に言って、そのような方は数々いらっしゃいますが、敢えて、ここでは、最近節目の年を迎えられ、このホームページの「ベルギーと私」のコーナーにも登場して頂いている、バレリーナの齊藤 亜紀さんについて触れます。去る11月15日(土)、齊藤さんと、そのバレエのパートナーであるウィム・ヴァンレーセンさん(これ以降、亜紀さん・ウィムと呼ばせて頂きます。)お二人のフランダース王立バレエ団活動20周年を記念するガラ公演が、アントワープで行われました。私も、主催者のご厚意で、亜紀さん・ウィム双方のご両親や友人の皆さんと一緒に観賞させていただきました。

    一言で言って、素晴らしく感動的な公演でした。技術や芸術性の完璧さについては、素人の私が申し上げるまでも無く、公演終了後の数度に亘る観客総立ちのスタンディング・オベーションが如実に物語っていました。しかし、それ以上に感動したのは、亜紀さんが、完全にベルギー人、そして、アントワープ市民の一員として受け入れられているように私には思われたことです。
    23年前に「ローザンヌ国際バレエコンクール」でスカラシップ賞を受賞され、王立アントワープ・バレエ学校の校長に誘われアントワープの地を踏んだ時には、亜紀さんは、フラマン語はもとより、英語も一言も喋れなかった由です。色々な苦労をされながら、共通の言語であるバレエを通じて、現地のコミュニティに溶け込んで行かれたのでしょう。そもそも、プリンシパルの活動20周年を祝ってガラ公演を行うと言うこと自体、希なことですが、その一人が日本人であると言うことは、殆ど例が無いのでは無いかと思います。
    公演後、ステージ裏で亜紀さん・ウィムにご挨拶しましたが、その場に居たバレエ団の同僚の皆さんが20周年を我がことの様に喜んでおられるのが印象的でしたし、相当ご高齢のバレエ学校入校当時の先生方がお祝いに駆けつけられたのを見て、私も胸が詰まる思いでした。「亜紀さん・ウィムのコンビは、アントワープ市民の誇りなのです。」この副市長の言葉が全てを表していると思いました。亜紀さん・ウィム、おめでとうございました。

lfb_006_aikido    続いて、その二は、「日本文化を支えるベルギー人」についてです。これも、また沢山の方がいらっしゃいますが、今回は、ベルギーでの合気道事情についてお話しします。しばらく前になりますが、11月8日、私は、ブラッセルのある体育館で、合気道の稽古を見学させていただきました。実は、東京の合気会本部から大澤勇人(おおさわはやと)師範が、年一回ベルギーを訪問し、ベルギー人の合気道愛好家に稽古をつける機会に呼んでいただいたのです。大澤師範は、週末を含め3日間にわたって、ベルギー全土から集まった愛好家に稽古をつけられました。
    ベルギーで合気道が始まったのは1960年で、既に50年を過ぎています。現在の愛好家は約5、000名。合気道は、日本で約100万人、世界全体では160万人の愛好家を擁していると言われているのですが、1000万人ちょっとというベルギーの人口を考えれば、5,000名はそれなりの数だと思います。もっと驚いたのは、皆さんの稽古に打ち込む姿です。この日のために、地方から沢山の方がブラッセルに来られたようです。稽古は、まず、師範が模範を示します。その際、殆ど言葉はありません。稽古を受けているベルギー人の人たちは、その模範を食い入るように見て、その後、ペアでそれを実践に移すのです。練習中は、私語は殆ど無く、畳を引いた広い体育館に「バシーン・バシーン」という受け身の音が響きます。こちらが話をするのもためらわれるくらいの荘厳さです。最後には、みんな正座で整列し師範に一礼し、「ありがとうございました。」の一言で終了です。非常に日本的な雰囲気でした。
lfb_006_aikido2    ベルギーには、ワロン地域とフラマン地域のそれぞれに合気会支部があるのですが、実は、今回私を案内してくれたワロン地域の会長は、まだ30代前半のヘイルブルックさんです。段位は4段。職業は国際弁護士です。稽古場では、合気道の練習着だったのですが、その後夕食をご一緒した時には、スーツ姿で、正に、国際弁護士の雰囲気でした。その彼の前に、初代のワロン地域の会長を務めた、ダニー・レクレールさんは、既に60代半ばですが、ベルギーに居る5人の師範の一人です。何と、今年で練習を始めてから50周年。師範になるには、6段以上である必要があるのですが、彼は、今回訪日して、ベルギー人として始めて7段を取りました。その彼が、数年前に、自分の子供くらいの年齢のヘイルブルックさんに会長職を譲ったのです。彼曰く、ベルギーでの合気道の長く続く発展のためには、若い年代にバトンタッチすべきだと考えたということです。私が見ても、これで当地での合気道は大丈夫だと思いました

    本日は、多くいらっしゃる、日本とベルギーの架け橋となっておられる方々の内、ほんの2~3名をご紹介しただけです。大使館のホームページには、「ベルギーと私」「日本と私」というコーナーがあり、幾人かの方々に寄稿頂いていますので、是非ご覧下さい。ただ、日本とベルギーの関係は、それ以上に多数の方々の間の絆で成り立っています。皆さんにとって、来年が良い年となりますように、心からお祈りしています。

<< 前へ 記事一覧へ 次へ >>